スキな人

（４）

「ちょっと、神！聞いてるの？」
物思いにふけっていた俺に、美砂はむすっとして顔を近づけてきた。
俺はぎょっとして少し身をひく。
「あ、悪い」
「ちょっと、しっかりしてよ！」
美砂は顔をもとの位置に戻すと、頬杖をついて物憂げに溜息をついた。

「中学まではよかったのよ。あたしが必死でガードしてたから。てか、つくよん、小学校時代にいじめとかいろいろあってちょっとだけ男性恐怖症っぽいところあったから、男拒絶オーラが出てて、言い寄る男子もいなかったし」

小学校時代のいじめ――。当時はクラスが違ったから詳しいことは知らないけれど、その首謀者は陽介だったらしい。詳しいことをなんにも知らないのが、本当にもどかしくて悔しいのだけど、あの２人の間にはいろいろあったらしい。
美砂は勝手な人間だけど、田中さんが本気で嫌がったり、傷ついたりすることは絶対にしない。そんな美砂が仮にも昔、田中さんをいじめていた陽介とくっつけようとする、ということはどういうことなのか。田中さん本人の気持ちはさておき、美砂は田中さんが陽介を好きだと本気で信じて応援しているのだ。

「でも、つくよん、中３の学祭でやったロミジュリで原田と仲直りして、男嫌い克服しちゃったんだよね。いや、別に克服したこと自体は悪くないんだけど、そのせいで、つくよん自身が張ってたガードが甘くなっちゃったんだよ。おまけに、高校入ってからどんどんあか抜けていくし。あたし、もう心配で心配で」
「田中さんだって子どもじゃないんだし、自分で責任くらいとれるだろ」
「ふざけんな！つくよんの純粋さ、なめんなよ！」

またまた美砂は興奮して立ち上がった。
俺も仲間内からはさんざんKYだ、お調子者だと言われるけど、とてもじゃないか、コイツのそれには敵わない。店内の客がさっきからチラチラこっちを見ているのを、コイツは少しは気にした方がいいと思う。

「中学３年間、ほとんど男子と接点もってこなかったつくよんにとって、男子高校生なんて猛獣も同然！騙されて喰われて泣かされるのが関の山よ！」
「お前、ちょっと声おさえろよ」
「あたしはいや！絶対いや！つくよんがどこの骨かも分からない馬と付き合うなんて！」
「それをいうなら”どこの馬の骨”だろ」
「そんなどっかのジンギスカンと付き合わせるくらいなら、ヘタレな原田のがミジンコ１個分くらいはマシってもんなのよ！」
美砂はそう言い切ると、空のコップをぐしゃりとつぶした。
顔を真っ赤にして興奮する美砂に対して、「ジンギスカンは羊だ」というツッコミは……
もちろん、入れられなかった。

＊

　
疲れた……。
何が疲れたって、興奮する美砂をなだめるのが、すごく疲れた。
これの相手を中学３年間、朝から放課後までしていた田中さんのことを心底尊敬する。

それにしても、高校に行って、美砂の傍若無人っぷりは磨きがかかったように感じる。
中学時代はもう少し大人しかった（あくまで当社比）。田中さん欠乏症なんじゃないかと俺は診断している。

「だからさ、神もちょっとは協力してほしいのよ」

美砂は俺が買ってきたコーラをすすりながらそう言った。
ちなみに、どうでもいい話だけど、美砂はファーストフード店でジュースを頼むときは必ず氷抜きにしろと注文をつける。なんでも、氷抜きだと氷の体積分ジュースの分量が増えるからだとか。セコすぎて逆に関心してしまう。

「せっかく原田と仲が良くて、つくよんと同じ高校なんだもん。利用しない手がないでしょ。２人のために一肌脱いでよ」
有無を言わさぬ口調だ。
俺はわざとらしく溜息をつくと、大げさに首を振った。
「何よ」
「これだから、初心者は」
俺の物言いに美砂はむっとして口をとがらせた。
「どういう意味よ」
「あのな、こういうのは外野が騒いだらかえって逆効果なんだよ。特に陽介は素直じゃないからな」
「じゃ、じゃあどうしろってのよ！」
また興奮しそうな気配を見せる美砂を、俺は右手で制した。
「ちょっと冷却期間をおいてみろよ。よく言うだろ。押してダメなら引いてみなって」

「そっか！」
ぱっ、と何かが開けたような顔で美砂が叫んだ。
だから、こういう公共の場所で大声出すなっての。
もう言っても無駄だから言わないけど。
「でも、冷ましてる間に、つくよんに変な虫がついちゃったら困るなあ……」

考える人のポーズをとること数秒。美砂は意味ありげに俺を凝視した。
うわあ、やな予感。

「……神！あんた、つくよんの害虫駆除してよ」
「害虫駆除？」
「あんた無駄に顔だけはいいんだから、それをこんな時使わないでいつ使うの？」
“いつ”も何も、中学時代はこの顔を最大限に使って彼女をＧＥＴしてたわけだけど…。

「俺、田中さんとは１組と８組で、まったく接点ないんだけど。廊下ですれ違うことすらほとんどねえよ」
「チっ、使えねえ」
「それが人にものを頼む態度か！」

こいつ、ほんとマジでうざい！

「接点なんてないなら作ればいいっしょ。と、に、か、く、つくよんのガードは神の最優先事項！これはもう決定だから。よろしく頼んだよ」
美砂はふんぞりかえってそう宣言すると、反論には聞き耳持ちません、という態度でコーラをすすった。
まったく、人の気も知らないで、勝手なことを言ってくれる。
まあ、田中さんと陽介のことは、俺自身、前からずっと気になっていたことではある。
美砂に言われて、というのが気にくわないが、少し様子を見るくらいなら、構わないか。
「分かったよ。でも、あんま期待すんなよ」
美砂は俺の言葉に、「まあ頑張れ」と偉そうに返した。

＊

「ところで、さっきの、中学時代、田中さんが男子と接点持たなかったって話でちょっと引っかかったんだけど、俺、中学のとき田中さんと普通に接点あったけど」
「ああ、それは多分、神が女タラシだったから安心してたんだよ」
「はあ？普通、逆じゃね？」
「だから、さっき言ったしょ。つくよんは自分が分かってないって。
女タラシで、おまけに超美形の神が、自分のことなんかに興味をもつわけないから、警戒する必要がなかったんだよ」

……なんじゃ、そら。