雑用係の失恋日記(2)



そもそもの発端は先週の土曜のこと。
夕方というべきか夜というべきか微妙な時間帯に僕の家の電話が鳴った。
相手はこの春、僕が卒業した北条院高校の新生徒会のメンバーだった。
なんでも新人のミスで今度の生徒総会で参考にする予定だった過去のデータの一部を紛失してしまったらしい。
そして、それはよりにもよって皇帝陛下が生徒会長を務めていた頃のデータだったとか。
一時うちの高校を事実上支配していた皇帝陛下の名前はいまだ伝説として受け継がれているらしく、直接陛下にお伺いをたてることができるような勇者は、新生徒会メンバーの中にはいなかった。
陛下を避けて、役員、会計、書記、副会長……と話しやすそうな人間から順番にバックデータをもっていないか当たっていったらしいが、結局誰一人持っている人間はいなかった。
聞かれたメンバーは全員「陛下なら持ってると思うけど……」と口をにごしたらしい。
「覚悟を決めて陛下に頭を下げにいけよ」と誰もが思ったけれど、いたいけな高校生である電話口の彼に、そんな殺生なアドバイスを出来る人間はいなかった。だからといって、「じゃあ、俺が代わりに」と言ってあげるほど優しい人間も一人もいなかった。
そこで彼らは憐れな後輩に、画期的なアドバイスをほどこしてあげたというのだ。

「ポチに頼めば代わりに陛下から貰ってきてくれるんじゃない?」


先輩方から生け贄として差し出された僕は、電話口で半泣き状態で懇願する後輩から、なんとか逃れようと頑張ってはみた。
が、当然僕は、藁にもすがるほど必死になっている後輩の頼みを、拒みきることなど出来なかった。

 +

時刻はPM10:00
結局3時間はねばられ、根負けした僕はしぶしぶ先輩の家に電話をかけた。
ところが、電話口からは呼び出し音が鳴っているのに、一向に出る気配はない。
不在だろうか?
一度かけ直した方がいいだろうか?
そんなことを考えていると、突然プツっと音がして呼び出し音がやんだ。
え?
訳が分からず、とりあえず一度受話器をおいてもう一度かけ直してみたら話し中の音が鳴るばかり……。

えーと……これはもしかしなくても、電話線を抜かれた?
ってことは、陛下は家にいるってことだよな?

背中にうっすら冷や汗がにじんできた。
鳴ってる電話をとることもせずにいきなり電話線を引っこ抜く理由なんて――……

こわっ!
理由はいろいろ考えられるけど、とりあえず、あんまりご機嫌な状態ではないってことだけは確かだろう。

あの冷え冷えした凍えるような視線を思い出して、思わず身震いする身体を両手でさすった。
とりあえず、今日はもう何をどうしても連絡はとれないことは分かった。
明日の朝、もう一度電話してみて繋がらなければ、直接家に行くしかない。
本当はものすごく憂鬱だけれど、なんとしても月曜までにデータを入手しないとまずいらしいので仕方がなかった。

 +

翌朝、試しにかけてみた電話は当然通じなかった。
さすがにあまり非常識な時間に訪ねるのは、相手が陛下じゃなくても気が引けるから、一応店の開店時間をすぎたあたりを見計らって、僕は陛下のマンションへ出向いた。

「佐倉」と表札の出たドアの前で深呼吸すること5回。
僕は腹をくくってチャイムを鳴らした。
待つこと数秒、インターホンが「プツ」と繋がる音がした。
『雄平くん!』
「え?」
僕は思わず表札を二度見した。
間違いなく陛下の家のはず。
でも、聞こえてきた声は、どう考えても若い女の子……。
というか、僕を「雄平くん」って呼ぶ女の子はこの世に一人しかいないわけで……

『わー、久しぶり!ちょっと待ってね。今開けるから』
「え、や、あの……」

ガチャ

という音とともに飛び出してきた女の子は、僕が想像していた通りの子――コマ子さんだった。
でも、僕の想像の遙か上をいっていたのは、コマ子さんの格好だった。

「雄平くん、久しぶり!元気だった?」

そう言ってにっこり笑う顔はよく見慣れたもの。
でも、ほんの少し視線をずらすと、ついさっきまでシャワーでも浴びていたのか、ふわふわの栗毛色の髪は水分を含んで頬やうなじに張り付いている。
そして、さらに視線を下に移していくと、どう見てもサイズが合っていない――というかLサイズの男物ですね?と一目瞭然のシャツを着ていて、少しかがんだら胸が見えてしまいそう。
慌ててもう少し視線を下にそらすと、目に飛び込んできたのはすらっとした健康的な生足……。
え、えーと、まさか、シャツの下に何も着てないってことは……ないですよね?
あまりに刺激的しぎる格好に、僕は真っ赤になって首がぐきっとなりそうなほど上にそらした。殺風景な天井を、こんなにありがたかく感じる日が来るなんて思ってもみなかった。

「……雄平くん?何してるの?」
「い、いや……ちょっと……目のやり場に……」
「ふーん?それより、先輩に御用?」
「え、あ、うん」

ゆっくり視線を戻すと、コマ子さんはきょとんとした顔でまっすぐ僕を見つめていた。
うぅ……可愛い。
いつもはたじろいで視線をそらしてしまうのだけど、今日にかぎってはそれは危険だ。
ほんの数ミリずれるだけで、見てはいけないものが目に入ってしまう。

「どうぞ、入って」

勝手知ったるなんとやら。
コマ子さんは極々自然な動きで玄関脇のスリッパを僕にすすめた。

「あ、どうも」

僕も自然に足を通して、自然に上がり込んでしまった。

いろいろツッコミたいことはあるけど、今はとりあえず何も気づいてないことにしようと自分に言い聞かせて、僕はコマ子さんの後に従った。
陛下に会うのは恐かったけど、コマ子さんがいるなら少しだけ場がほぐれるかもしれないし、うん、今日の僕はついてるぞ!

僕のそんな脳天気な考えは、短い廊下を歩いてリビングのドアを開けながら、さらっと吐いたコマ子さんの言葉を聞いた瞬間、砕け散った。


「今、先輩、近所のスーパーに牛乳買いに行っていないから、リビングでおしゃべりしてよ♪」


ま、まさかの密室でコマ子さんと2人きり!?



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