6.コマ子さん、呼ばれる


普段、先輩はわたしのことを「コマ」と呼ぶ。
小間使いを略して「コマ」。とっても分かりやすい。わたしたちの関係すらも端的に表している素晴らしいあだ名。
でも時折、先輩はわたしを「コマ子」と呼ぶ。
それはだいたいあらたまった場面や大事な話があるとき、もしくは有無を言わせず言うことを聞かせたいとき。
だからわたしは、先輩に「コマ子」と呼ばれるといつも少しだけ緊張してしまう。

でも、最近は今までとは違った意味で、「コマ子」と呼ばれると緊張するようになった。
なぜなら――。

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「コマ子」

少しかすれた先輩の声に、わたしはわずかに肩をふるわせた。
そっとうかがうように見上げると真っ直ぐな視線が熱くわたしに突き刺さっている。
先輩はゆっくりと手を伸ばしてわたしのあごを持ち上げると、もったいつけるようにゆっくりと唇を重ねる。

「……っふ……ぁ」

舐めたり吸ったりしながら徐々に深くなる口づけに、わたしは全身から力が抜けていくのを感じる。
そしてわたしが完全に先輩の胸元に身体をあずけきったのを確認すると、先輩は軽々とわたしを抱き上げベッドへ直行する。

「コマ子」

その言葉を合図に、わたしたちの「大人の関係」が今日も始まる。

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あの日――先輩に初めて抱かれたあの日から1ヶ月がたった。
あれから2人の関係が劇的に変化したかと言われれば、小さな変化はあっても大きくはほとんど変わっていないんじゃないかと思う。

小さな変化というのは、何故か先輩はあの日の翌日から愛用していた眼鏡をやめてコンタクトにした。
以前、誰かに「コンタクトにしないの?」と聞かれたとき、先輩は「必要ない。眼鏡を不便に感じたことはない」ときっぱり答えていたから、ちょっと意外だった。どういう心境の変化だろう。
先輩は眼鏡がすっごく似合ってたから、もう先輩の眼鏡姿が見れないのは残念だな〜と思って、その通り口にしてみたら、週末だけ眼鏡をかけてくれるようになった。
いや、別にわたしの要望に応えてくれたわけではなく、単に土日はコンタクトをいれるのが面倒だと思っただけという可能性の方が高いけど。

あと、変わったことと言えば……あぁ、そうだ。
あの後、先輩の彼女さん(だと思ってた人)たちが代わる代わる先輩のところへやってきて、顔を見るなり無言で先輩を殴った。そして、わたしをぐっとひきよせてその豊満な胸にわたしの顔を押しつけ、窒息死させようとしているんではないかと疑いたくなるくらい力強く抱きしめ、なぜか憐れみに満ちた顔で「嫌なことがあったらすぐにわたしに教えてね。諸悪の根源はわたしが殺してあげるから」と物騒なことを言って去っていった。

変わったことと言えばそれくらい。あとは以前とほとんど変わらない。相変わらず先輩は気まぐれにわたしを呼び出し、雑用を手伝わせたり気晴らしの付き合いをさせたり、時にはわたしの勉強をみてくれたりする。
呼び出される回数も前と大して変わらない。
あ、でも、今までは週末に呼ばれることはあんまりなかったけど(あっても日曜の昼間とか)、あれから先輩は決まって土曜日にわたしを呼び出すようになった。
大抵はお昼過ぎに大学に呼び出されて、キャンパス内で雑用をこなして夕方に先輩の家へ。
夕飯を食べてまったりしていたら……そのうち突然先輩のスイッチが入る。
本当に突然入る。びっくりする。
もう何度も経験しているけど、それでも毎回びっくりする。
なんの前触れもなく、直前までわたしの他愛ないおしゃべりに耳を傾けていたかと思うと、突然「コマ子」と呼ぶのだ。そこから後はもうなし崩し。
あの日以来、土曜日に家に帰れたことは1回もない。
気づくと朝で「あぁ、またやってしまった……」と思うのだけど、先輩はまったく気にした様子はない。

ちなみに、うちの両親もわたしの朝帰りをまったく気にしない。というより、気づいてないんじゃないかと思う。
咲子姉の離婚調停がようやくまとまりそうだというのに、今度は唐子姉の愛人の愛人から連日嫌がらせの電話やら手紙が届いているらしく、わたしが家にいるのかどうかまで気にしている余裕はないみたい。

先輩のスイッチが突然入るのは平日でも同じ。
ただ、休日は必ず入るけど、平日は入るときと入らないときがある。
わたしにはその法則性が分からない。
一つだけ確かなのは、先輩はこの「抱く」という行為が随分好きなんだということ。
そしてどうやら、わたしも先輩に抱かれるのがすごく好きみたいだ。

 +

「……マ」
「……ん」
「………コマ」
「……うーん」
「………コ・マ!」
「……ふぁ!」

耳元での大声に驚いて慌てて目を開けると電気を背にした先輩の恐い顔が目の前にあった。

「ふあ、じゃない。そろそろ起きろ。11時になる」
「え……もうそんな時間ですか?」

わたしは重い身体をゆっくりと起こして時計を見ると確かに時刻はまもなく11時を示そうとしていた。

「シャワーを浴びる時間はないぞ。さっさと支度をしろ」
「……すみません。もっと早く起こしてくれてもよかったのに」
「……起こそうとしたけど起きなかったんだろ」

そっぽをむいて不機嫌そうに眉をひそめる先輩。
これは寝ている間に何か気に障ることをしたか口走るかしたのやも!

「すすすみません!今度からはわたしが何をしようと何を言おうと問答無用に叩き起こして下さって結構です!
あの、何ならもう裸のまま外に放り出されても自業自得と諦めますので、どうぞ次回からはそのようにひゃぅ!」

床に脱ぎ散らかしていたはずの服が飛んできた。

「馬鹿なこと言ってる時間があればさっさと着替えろ!日付が変わる前に家に帰れなくなるぞ」

うー。別に日付を越したからと言ってうちの両親は何も言わないんだけど、何故か先輩は「平日はその日のうちにわたしを家に帰す」ことにやけにこだわる。
今日みたいにくたくたに疲れてしまったときは、正直家に帰るのは面倒くさい。

泊まってっちゃダメかな……?

なんて思うけど、それはさすがに図々しい気がして口に出せない。

だってわたしはあくまで小間使い。
彼女じゃないから。ただの召使いだから。
どこまで甘えていいのか分からない。
どこまでだったら小間使いのわたしでも許される範囲なのか分からない。

甘えたい。
でも恐い。
甘えて拒否されるのが恐い。

そうだった。
先輩に初めて抱かれたあの日から、一つだけ大きく変わってしまったことがあった。

あの日以来、わたしは先輩のことが好きではなくなった。

ただもうひたすら、「大好き」になってしまった。



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