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「先輩」 絶句した先輩の顔を見て、わたしは驚いた。 なんと言えばいいんだろう。「先輩らしくない」という言葉が一番ふさわしいかもしれない。 先輩は口を半開きにしたまま、ひどく狼狽えた様子で視線をそらした。 図星。 まさか先輩が図星をさされて、こんなに焦った表情を見せるとは思わなかった。 気まずげな様子で先輩は「こほん」と一つ咳払いをした。 「……工藤たちはお前にそんなことまで話しているのか?」 「いえ、工藤さんたちからは何も聞いてませんけど」 わたしがそう答えると、先輩は顔をさっと赤らめるとわたしをキっと睨み付けた。 「工藤たちじゃなければ、一体誰が!」 「誰にも聞いてません。ただ、わたしがなんとなくそうなのかな、と思っただけです」 その瞬間の先輩の顔は、こう言ってはなんだけど、さらに見物だった。 顔にしっかり「しまった!」もしくは「墓穴」と書いてあった。 先輩は口元に手を当てると、悔しそうに、さらに苛立たしげに小さくうなり声をあげると、一瞬目をつぶって「くそ」と吐き捨てた。 そして、わたしの目を射殺すような鋭い視線で真っ直ぐと見据えた。 「あれは違う」 「違う?」 「だから、あれは違うんだ。確かに、抱いたことはないと言えば嘘になるが、あいつらはそういうんじゃない」 「そういう?」 「………っだから、彼女だからとか、好きだからとかそう言うんじゃなくて、なんというか……」 「何というか?」 物事を白黒はっきり断言する先輩がこんなに言葉に迷うなんて珍しい。何を言いたいのかさっぱり分からないわたしは、先輩の言葉をいちいち復唱していたのだけど、そんなわたしに先輩は恨めしそうな顔をする。 「あぁ~~……だから、あいつらとは……恋人でもなくて、友達でもなくて……大人の……そう、”大人の関係”だったんだ!」 ものすごく投げやりな言い方でそう叫ぶと、先輩はもう一度「くそ」とつぶやくと頭をかかえて項垂れてしまった。 なかなか復活する様子のない先輩を見つめながら、わたしは先輩の言い放った「大人の関係」というものを口の中で何度も反芻しながらその意味を考えてみた。 そして、ある考えに至って、わたしは目の前がさっと開けたような気持ちになった。 そうか、もしかしてわたし、ものすごい勘違いをしていたのかもしれない。 「あの……先輩?」 おそるおそる問いかけた声に、先輩はゆっくり顔を上げる。 「つまり、工藤さんたちのことを抱いたことはあるけど、それに特別な意味があるというわけではない、ということですが?」 「……そうだ」 ばつの悪そうな先輩の言葉に、わたしは自分の考えが正しかったことを確信し、安堵のあまり思わずにっこり微笑んでしまった。 そんなわたしに、先輩は一瞬目を丸くするとなんだか気味悪そうに眉をひそめた。 「大丈夫です先輩、ちゃんと理解しました。勘違いしてしまってすみません」 わたしは晴れ晴れした気持ちで頭を下げた。 その瞬間、不安から解放されたからか急に空腹感が押し寄せてきた。 顔を上げると、先輩はまだ不審そうな顔をしていたけれど、わたしは気にせずにっこり微笑んだ。 「先輩。お腹すきました。台所かしてもらってもいいですか?」 先輩は呆れたように溜息を一つつくとわたしの頭をぽんと叩いた。 「飯なら出来てる。味噌汁とだし巻き卵と漬け物だ。食うぞ」 「え?誰が作ったんですか?」 わたしの素朴な疑問に先輩は心底呆れたような顔をする。 「俺に決まってるだろ」 「え?先輩、料理できたんですか?」 「当たり前だろ。じゃなければ、一人暮らしの20歳の男の家にあんなに調理用具や調味料がそろってるわけないだろ」 なんだ。 亜弓ちゃんが言っていた「彼女がいる証拠」の最後の砦がここで崩れた。 なーんだ。 わたしは思わずこぼれる笑みが止められない。 「抱く」というあの行為。 あれをものすごく神聖で特別なものだと思い込んでしまったのが、最大の勘違いだったんだ! あれは、お子様で無知なわたしが知らなかっただけで、「大人」だったら恋人同士とかじゃなくても、それなりに仲の良い関係であったら日常的に起こりうる「普通」の行為でしかなかったんだ! だから先輩は工藤さんたちのことも抱いたし、わたしのことも抱いた。 今までわたしのことを抱こうとしなかったのは、きっとわたしが子供すぎたからなのね。 高校を卒業して、ようやくわたしのことも「大人」と認めてくれたということだ。 これを喜ばずして何を喜ぶ! 先輩に彼女はいなかった。 わたしは先輩に少しだけ近づけた。 いつか、先輩に彼女ができたら離れなくちゃいけないのは分かっている。 でも、もう少しだけ……あとちょっとくらい先輩の小間使いを続けてもいいかな? わたしは先輩の大きな背中に向けて、心の中で問いかけた。 + ちなみに、先輩の手料理はわたしなんか比べものにならないくらい美味しくて、情けなさのあまり、なんで今まで料理の腕を隠していたんだとなじってしまった。そんなわたしに放った先輩の一言。 「四苦八苦しながら、できないなりに一生懸命作ってる姿が面白かった」 そして、もう二度と先輩の前で料理なんかするものかと心に決めたわたしに、先輩は一言こう言った。 「お前のそういう向上心を、俺はとても尊いものだと思っている」 それから数日、わたしが台所にこもって先輩を超えるだし巻き卵の研究に勤しんだことは言うまでもない。 |