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5.コマ子さん、泣く(前)
いつもと違うシーツの感触、いつもと違う枕のにおい、いつもと違うカーテンから差し込む陽の光―― しばらく、自分がどこにいるのか分からなくて、寝っ転がったまま首を回してあたりを見回した。 見たことのない天井や家具―― ここ、どこだっけ……? なんだかやけに体が重い。 なんか下半身を中心に身体中あちこち痛いし…… まわらない頭を徐々に稼動させていく。 ――コマ子…… 突如、脳内に響いた先輩の甘く切ない声。 それと同時にフル回転で自動再生される昨日の記憶。 ……う、ひゃぁ~~~~~~~! そ、そうだ! 昨日、あれからあのままソファで1回抱かれて、痛いし恥ずかしいし疲れたしでぐったりと倒れこんでしまったわたしを、先輩は軽々と抱き上げてベッドに運んでくれたんだった。 ベッドにそっと下ろされて、ふんわり包み込むように抱きしめられながら優しい手つきでゆっくりと髪をなでられた。ふわふわと浮き上がるような心地よさのあまり、急激な眠気に襲われたわたしは、多分無意識に先輩の胸元にすり寄った。 「おやすみなさい」 そんな言葉をつぶやいたような気がする。 ……ところが、先輩はそのまま寝かせてはくれなかった。 何がいけなかったのか、突然豹変した先輩はそのまま1回目以上の激しさでわたしを抱いた。 正直……それ以降のことはあんまり思い出したくない。 普段から寡黙で必要最低限のことしか話さない先輩だけど、抱いてる時はとりわけ無口だった。 きっと、これをしている時はあんまりしゃべっちゃいけないっていうのが暗黙のルールなのね!と悟ったわたしは、1回目はなるべく声を出さないように頑張った。 でも、2回目からは…… あぁ、ダメ!思い出したら死ぬ! わたしは火照る顔に両手をあてて枕に突っ伏した。 ……どうしても声を我慢できなかった。すごい変な声を出してた。言ってはいけない言葉を口走りそうになって、それだけはなんとか思いとどめようとひたすら先輩の名前を呼び続けた……ような気がする。 それにきっと、顔もすっごいぶさいくだったはず。 そもそもわたしの体は典型な幼児体型。見せられた方に「ごめんなさい」と謝らなくていけないほどの残念さだ。 あぁ、もう、恥ずかしくて先輩の顔が見れない! 先輩、昨日のことはすべて綺麗さっぱり忘れてくれないかな? わたしはあんなにいっぱいいっぱいだったというのに、先輩はずっと余裕そうだった。 慣れてるのかな……。 きゅっと胸が痛んで、首を動かしてシーツに目を走らせると、先輩の黒髪が落ちているのが視界に入った。 それをじっと見つめていると、工藤さんの綺麗な長い黒髪が脳裏に浮かんできて、わたしはさっと青ざめた。 慣れてる。 そんなの当たり前じゃない。工藤さんがいるんだから。 いくら鈍いわたしでも、昨日のあの行為が普通の先輩後輩関係に起こりうることじゃないことくらい理解できる。 あれはもっと濃厚な……恋人とか、そういう特別な人としかしちゃいけないことなんだと思う。 ……どうしよう。 思い浮かぶのは、幸せそうな工藤さんの笑顔。 大事そうに指に光るシルバーリング。 わたしは重い身体をゆっくりと起こしてベッドにぺたりと座り込んだ。 先輩だけじゃない、工藤さんの顔も見られそうにない。 きっと罪悪感で泣いてしまう。 工藤さんはあんなにいい人なのに。 考えただけで涙が浮かんできた。 せめてもの救いは、「好き」という言葉だけはかろうじて飲み込んだこと。 激しいけど乱暴じゃない先輩の動きが嬉しくて切なくて、気持ちがあふれ出そうになって、それでもそれだけは言ってはいけないと心に言い聞かせた。 あの言葉を言ってしまっていたら、後戻りができなくなっているところだった。 先輩は言わなくてもわたしの気持ちに気づいてると思うけど、それでも言葉にするかしないかは大きいはず。 だって、言ってしまったら、先輩はわたしを振らないといけなくなっちゃう。 振っても「そばにいてもいい」って、先輩なら言いそうだけど、さすがにそれは工藤さんが不愉快だと思う。 今まで大目に見てくれていたのは、あくまでわたしが身の程をわきまえていたから。 さすがに本人に「好きだ」と宣言した女が自分の恋人にまとわりついていたら、いくら人のいい工藤さんでも嫌な気分になるはず。わたしだったら嫌だ。 あぁ……でも、昨日のあれは言ったとか言わないとか関係なく不愉快なことよね。 もうダメなのかな……。 やっぱりわたしは、先輩の前から消えるしかないのかな……。 先輩は昨日、「離れるなら徹底的に離れろ」と言った。 あれはそう言う意味だったんだと思う。 そして、わたしの覚悟を試すように、「それが出来ないなら拒むな」と言ってわたしを抱いた。 でも、結局、拒んでも拒まなくてもわたしには先輩から離れるしか選択肢は残されていなかったんだ。 やっぱり、言わなくてよかった。 同じ消えるにしても、先輩を困らせたくもの。 出来ることなら言いたかったけど。伝えたかったけど。 涙がとめどなく流れた。 わたしは先輩の長い袖で涙をくいっとぬぐう。 あれ?そういえば、わたしなんで服を着ているんだろう? 感触から下着は着ていないっぽいけど、昨日ソファで先輩に脱がされたはずのスウェットを身につけていた。 て言うか、わたしは一体いつ眠ってしまったんだろう。最後の方は記憶があやふやだ。 ぽたぽたと涙を流しながら、首をかしげて袖口を眺めていると、 「痛いのか?」 うひゃ! 突然の声に、わたしは飛び上がりそうなほど驚いて顔を上げた。 思っていたより近い距離にあった先輩の顔は心持ち心配そうに見える。 先輩はわたしの涙を指でそっとすくい上げた。 「お前が初めてなのは分かっていたから手加減はしたつもりなんだが……どうも勝手が分からなくて、正直、最後の方はかなり無理をさせたと思う。大人げなかったな、すまない」 せ、先輩が謝った!わたしに頭を下げている!? し、信じられない!と言うか、なんで謝られているのかが分からない! 「ち、違います!痛いか痛くないかと言われれば痛いですけど、別に泣くほど痛くはないです!」 ぶんぶんと首を振るわたしに、先輩は眉をひそめて怪訝そうな顔をした。 「じゃぁ、腹が減っているのか?」 「え?」 ……そういえば、お腹がすいてるかも。今の今まで気づかなかったけど。 意味が分からず首をかしげるわたしに、先輩も不思議そうに首をかしげる。 そして、もう一度わたしの頬に手を添えると親指で涙のあとをなぞってみせた。 「痛いわけでも腹がすいてるわけでもないのなら、お前はなんで泣いているんだ?」 …………ひどい! どうやら先輩は、わたしは痛いときとお腹がすいたときにしか泣かない赤ん坊のようなヤツだと思っているらしい。情けなくて思わず涙も引っ込んでしまった。
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