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4.コマ子さん、流される(後)
――何も分かっていない。 きっと先輩がそう言うのならそうなんだろうなぁ。 あぁ、わたしはまた先輩を呆れさせてしまった。 しゅんとうなだれて、そっと様子をうかがうと先輩の鋭い視線と目があった。 そして何か呟きのようなものが聞こえた。でも、先輩の口元は、膝の上にひじをついて組まれた両手で隠れていて、何を言っているのか推測も出来なかった。 も、もしかして怒らせちゃったのかな?どうしよう…… 狼狽えて視線を彷徨わせていると、先輩は自分が腰掛けているソファの空いているスペースをぽんと叩いた。 「来い。説教だ」 「は、はい」 わたしは小走りでソファへすっ飛んで行くと、先輩からこぶし2個分ほど離れたところに腰を下ろした。 先輩は体を少しずらして、わたしと視線を交じらせた。 「なぜ合コンに出た」 ……え?説教って、そこから始まるんですか? おそらくわたしはものすごくマヌケな顔をしていたんだと思う。 先輩は思いっきり顔をしかめてみせた。 「ガキがいっちょまえに色づきやがって。お前、俺が迎えに行かなかったらどうするつもりだったんだ?」 「……福原先輩がおうちに泊めてくれるって……」 「福原がいなかったら?」 「えーと……」 「誰か別の男が優しい顔で”泊めてあげるよ”とか言ったら、疑いもせずについていくだろう?」 「えーと、えーと……」 ついて行く……かな? 「男が優しい言葉や甘い言葉を吐いたら下心があると思え!簡単に男を信用するな!」 「で、でも、そんなこと言ってたら、わたしいつまでたっても彼氏ができないじゃないですか!!」 わたしの叫びに、先輩の眉間のしわが余計に深くなった。 うわ……すっごい怒ってる。 一瞬ひるみそうになりながらも、わたしは先輩を見つめ返した。 「あ、あの、わたし、先輩にはまだ言ってなかったけど、先輩離れしようと思っているんです」 「……何?」 「いつまでも先輩の背中を追っかけ回していちゃダメだと気づいたんです。ちゃんと彼氏を作ってわたしはわたしの幸せを見つけます。だから先輩も先輩で」 ――幸せになって下さい そう言うつもりだった言葉は、永遠に封じられてしまった。 先輩の唇がわたしの唇に覆い被さってきたのだ。 何が起こったのか分からず、まばたきをしてみたけれど、目の前には焦点が合わないくらいの距離に先輩の顔があって、とにかく本能的に「離れなきゃ」と思って身を引こうとしたけど、先輩が腰と頭をしっかり押さえていてびくとも動かない。 そうこうしている間も、先輩は何度も角度を変えながら私の口をまるごと食べようとしているかのように唇を押しつけてくる。 「せん……ぱ……ぁ」 しゃべろうとすればするほど、先輩は激しさを増していく。 中途半端に口を開けたものだから、そこに何かが押し入ってきた。 それがなんなのか分からず、頭がちかちかしてきた。 口の端からは涎がたれているのが分かる。 あぁ、どうしよう。恥ずかしい。て言うか苦しい。 息だけじゃなくて、心臓が苦しい。 なんなの、これは……? 先輩は何をしているの? この時、この行為が「キス」だと言うことに、わたしは気づいていなかった。 バカだと思われるかもしれないけれど、わたしのちっぽけな知識にある「キス」とは、唇をとがらせて「ちゅっ」と音を立ててする甘く可愛らしいもののことだった。 先輩がわたしにした行為は、もっと熱くて激しくてドロドロのぐちゃぐちゃで、これが同じ「キス」だなんて想像もできなかった。 苦しくて、訳が分からなくて、目の端をすっと涙が流れた。 すると先輩はようやく口を離してわたしの涙のあとをすっと指先でなぞった。 互いの口を透明な唾液が糸のようにつないでいるのが目に入って、わたしは恥ずかしさで思わずぎゅっと目をつぶった。 その瞬間、肩をトンと押されてわたしはソファにひっくり返った。 びっくりして目を開けると、先輩が恐いくらい無表情でわたしの上に覆い被さってきた。 「せ、先輩……?」 「彼氏を作る……ねぇ」 低くよくとおるその声は聞いたことがないくらい冷たかった。 「彼氏作って、そいつとこう言うことをするってわけか」 「こ、こう言う……?」 先輩は、わたしの声なんか聞こえてないのか遠い目をしてふっと口元を歪ませた。 「そういえば、さっき福原は面白いことを言っていたな。 俺としたことがあることをしたら、どうやっても俺とくらべてしまう。だからしたことのないことをすればいい…… だったか?」 こ、恐い……。 いろんな人が先輩のことを「恐い」「怖い」と言っているのは知っていたけど、わたし自身は一度も本気で先輩を「怖い」と思ったことはなかった。でも、今、この瞬間、わたしは初めて先輩を「こわい」と思った。 「他のヤツとは、できなくさせてやる」 そう言うと、先輩はわたしの首筋に顔を寄せてきた。 ふっという先輩の息づかいを感じたかと思うと、そこに熱いものが押し当てられた。 「ぅえぁ!せ、先輩!?何?」 「黙れ」 「ふあ、はい!」 先輩の舌がすっと首筋をたどって鎖骨のあたりにたどり着く。 先輩はそこに唇で何度も優しく触れてくる。 くすぐったくて恥ずかしくて、思わず声が漏れそうになるのを必死で耐えた。 先輩はそっと顔を上げると不敵な笑みを浮かべると眼鏡をはずしてローテーブルに置いた。 眼鏡をはずした先輩の顔は初めて見るかも知れない。 うっかり見とれていると、先輩はわたしの唇に「ちゅっ」と音を立てて「キス」をした。 「なっ!」 思わず声を上げて慌てて口をおさえた。 すると先輩はにやっと笑ってスウェットのすそから手を入れてきた。 そして、抗議の声を上げる間もあたえずにすっぽりと脱ぎ捨てられてしまった。 電気の下で未発達な体をさらされてしまったわたしは羞恥心で体全身から火が出るかと思った。 必死で隠そうとした手は先輩にかすめ取られて両脇で押さえつけられてしまった。 「先輩!なにするんですか!?」 「脱がしていいと言ったのはお前だろ」 「言ってないです!」 「ひっぺがすぞ、と言ったら、どんと来いと言っただろう」 うっ!た、確かに言ったけど。 「軽はずみは発言には注意するんだな」 だって、こんな風に脱がされるとは思わないじゃない!! 「……なんでこんなことするんですか。こんなことされたら、わたし先輩離れできなくなっちゃいます」 「しなければいいだろう」 「ダメです。するんです」 真っ直ぐ先輩の目を見つめて言い切った。 先輩の視線がまた一気に冷めていくのが目に見えて分かった。 心が揺らぎそうになる。 でも、ダメ。ここで揺れちゃダメ。 先輩には工藤さんがいるんだから。 先輩は工藤さんと幸せになるんだから。 先輩の近くで、先輩の幸せを見守り続けるなんて、辛すぎて出来ない。 だから今、わたしの方から離れなきゃダメなんだ。 「……分かった」 ぽつんとしたつぶやき。 先輩はわたしの両手を離すと体を起こした。 よかった、分かってくれた…… ほっとしたような淋しいような気持ちで溜息をつくと、わたしも体を起こそうとした。 でも、その瞬間目に入ったものにわたしは唖然として体が固まってしまった。 なぜか先輩は着ていたシャツを脱いで上半身が裸になっていた。 えーーーーーーー! ちょ、ちょっと待って、なんで? 先輩、いつも勉強大変そうなのにすごい引き締まった体――いつ鍛えてるんだろう? や、違う。そんなことはどうでもいい。 なんで脱いでるんですか?分かったんじゃなかったの?て言うか何が分かったんでしょう? わたしがパニくっている間に、先輩は再びわたしに覆い被さって体をしっかり密着させてきた。 心臓がとんでもないことになっているのがきっと先輩にも伝わっちゃう! なになになに、何が起こっているの!!? 「”先輩離れ”」 「ふえ?」 「出来るもんならやってみろよ」 ひやぇぁ~~~~~~~~~~~~! ちょ、先輩の手が、唇が、わ、わたしの胸に! いや、そんな、「そろそろブラした方がいんじゃない?」とか言われ始めた小学生並しかないわたしの胸なんか触って何が楽しいのですか!? 「ちょ、や、ダメです先輩!やめて下さい!」 「嫌だ」 「いやって……そんな、ダメですってば!!」 引きはがそうと先輩のさらさらの黒髪に伸ばされたわたしの手はあっけなく返り討ちあって頭の上に押さえつけられた。 「今からお前を抱く」 聞き慣れない言葉に、わたしのまばたきを二つ繰り返した。 「抵抗してみろよ」 「え?」 「嫌なら本気で抵抗しろ。無理強いは趣味じゃない」 抵抗しろって言われても、こんな風に両腕を押さえられてしまってはしたくても出来ないのですが…… 「ただし、生半可は抵抗は抵抗だとは思わない。 ”嫌”も、”ダメ”も、”やめて”も、俺は抵抗とは見なさない」 ものすごく真剣な眼差しで、先輩がわたしを射貫く。 「お前が俺を止めることができる言葉はただ一つだ」 わたしも精一杯まっすぐと先輩を見つめ、真剣に耳を傾ける。 「”消えろ”」 胸がずきん、と鳴った。 「やめて欲しければ”消えろ”と言え」 ひどく残酷な言葉。 「そう言われたら、俺はお前の前から消えてやる――永遠に」 最後に付け足された言葉に、心臓が止まりそうになった。 「え、永遠に?」 「あぁ。お前が俺に”消えろ”と言うのなら、もう二度とお前の前には現れない。二度とお前と話すことはないし、近寄ることも、視界に入ることもないと誓おう」 「……そんな……」 目が、熱くなる。 「”先輩離れ”とは、そう言うことじゃないのか?」 確かに、そうだ。 先輩は正しい。 先輩は、やると言ったら絶対にやる。 わたしが拒めば、先輩は明日にでもわたしの世界から消える。 どんなに探しても先輩はいない。どんなに望んでも先輩に会えない。 わたしと先輩をつなぐものは、何もなくなる。 先輩が消えちゃう!! 「それくらいの覚悟もないくせに、簡単に離れるとか言うな」 涙が一つ、こぼれた。 両腕を押さえていた力がふっと抜け、唇がそっと頬を触れる。 「どうする?消えて欲しいか?」 「……ゃ」 「ん?」 優しく問い返す先輩に、わたしは首を大きく振った。 離れられるわけがない。 永遠に先輩の声を聞かないなんて無理だ。 姿を見ないなんて無理だ。 苦しくてもいい。悲しくてもいい。 先輩のいない世界になんかいられない。 「コマ子……」 返事の代わりに、わたしは先輩の首に腕を回してしがみついた。 + そしてその日、わたしは先輩とすべてのことを経験した。
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