1.コマ子さん、決意する


高校を卒業して1週間。
もう高校生じゃないんだなーというのをそろそろ実感し始めてきた今日この頃。
わたしはエスカレーターで付属の女子短大に進むけど、小学校以来のお友達、亜弓ちゃんは国立のH大に進むから、これからは今までみたいには会えなくなっちゃう。
亜弓ちゃんの合格は嬉しいけど、もうこれまでみたいにしょっちゅう遊んだりできなくなっちゃうのは寂しい。
でも、今までさんざん亜弓ちゃんに甘えてきた部分があるから、これを期にちょっとは自立しないとね!

ということで、とある決意声明を出したわたしに、亜弓ちゃんは真顔で固まってしまった。

    +

「は?ごめん、刈谷。あたしの聞き間違いかしら?ありえない言葉を聞いたような気がするんだけど。
もう1回言ってくれる?」
「うん、だから、わたし先輩ばなれしようと思って」

わたしの言葉に、亜弓ちゃんは呆気にとられた様子で、まるで金魚のように口をぱくぱくと開け閉めした。
クールな亜弓ちゃんがこんな表情をするなんて珍しい!ううん、初めて見たかもしれない!
わー、貴重なもの見ちゃった!

「先輩ばなれって……何それ」
「あ、でも今すぐ小間使いをやめるわけじゃないよ?こんなわたしでもいればちょっとは役立つみたいだし、先輩が必要としてくれている限りはお手伝いはしたいと思ってる。
でも、今までみたいに四六時中先輩のことを考えて、先輩を第一に、先輩にべったりくっついてるんじゃなくて、ちょっとは他の男の人にも目を向けてみようかな、って」

心配をかけないように、いたって軽い調子で言ったのに、亜弓ちゃんはますます目を丸くしてものすごい勢いで詰め寄ってきた。

「ちょ、ちょ、ちょっと!!どういうことよ!どうしちゃったのよ!!あんたホントに刈谷なの!?なんで突然!?今あんたが言ったのは、あたしがこの3年間、何度となく忠告してきたことよ?
その都度あんたは突っぱねてきたじゃない!
”なんでそんなこと言うの?亜弓ちゃんのバカ!嫌い!”とか言って3日も口をきいてくれなかったのはどこの誰!?あの時あたしは、夜も眠れず食事も喉を通らず2kgも痩せたのよ!我が家じゃいまだ”コマ子ダイエット”って呼んで語り草になってるんだからね!」

「……そんなことあったっけ?」

はて、さっぱり思い出せない。

「あったわよこの鶏頭!!短期記憶力は天才的にいいくせに、なんで長期記憶力は猿並なのよ!」
「やだ、亜弓ちゃん。猿って意外と頭いいんだよ?あたしの記憶力と一緒にしちゃ可哀想」
「言葉の綾でしょ!流しなさいよ、そんなどうでもいいことは!!話しをそらすな!!
先輩を諦めるって、一体どういう心境の変化?何があったのよ!?」

どんと亜弓ちゃんの拳が小テーブルを叩いた衝撃で窓際のチェストに置いてあったぬいぐるみがぽすんと床に落ちた。
わたしはそれを拾い上げるとぎゅっと抱きしめて顔をうずめた。

「……工藤さんが指輪してたんだもん」
「……誰よ、工藤さんって?」
「先輩の今の彼女。背が高くて、髪が黒くて真っ直ぐで長くて、胸が大きい、色っぽくて大人っぽい美人さん」
「……ていうか、陛下の歴代彼女って、全員判を押したように全部同じタイプだから、今の説明じゃどの人かまったく分からないんだけど」

そう……。先輩の彼女さんはいつも決まって同じタイプ。
わたしとは180度正反対な人たちばっかり。
ここまでくると、これはもしかして先輩の無言の主張なのではないかと思いはじめてきた。
――お前はタイプじゃないから想うだけ無駄だ。
そういうことなのかもしれない。

しかも、先輩の彼女さんたちはみんなすごくいい人ばっかりなのだ。
普通、自分の恋人にわたしみたいなコブがくっついてたら、いくら相手にされてないって分かっていたって面白くないんじゃないかな、と思う。
でも、彼女さんたちはみんなわたしにすごく優しかった。とても可愛がってくれた。
さらに、不思議なことに、歴代彼女さんたちはみんな仲良しだ。
元カノと今カノ同士が仲良く先輩の悪口に花を咲かせていたりして、わたしはどう頑張っても先輩の悪口なんか一つも思い浮かばないから、ただ黙っておろおろすることしかできないんだけど、そんなわたしの反応を見て、彼女さんたちはそれはそれは楽しそうにわたしのことをからかったりする。
きっと、それくらい大物じゃないと先輩の彼女なんかつとまらないんだろうな……。


「で、その工藤さんとやらが指輪をしていたことと刈谷が先輩を諦めることがどう繋がるわけ?」

亜弓ちゃんの鋭い言葉にわたしははっと顔を上げた。
そして、数日前大学のキャンパスで嬉しそうに話しかけたきた工藤さんの顔を思い出した。

  +

その日わたしは、珍しく先輩の呼び出しではなく、自分から自発的に先輩に会いに行った。
別に、先輩に「呼んでもないのに会いに来るな」とか言われているわけではないけど、なんとなく彼女でもない女の子に一方的につきまとわれるのは先輩もうっとうしいだろうと気を利かせて、普段は呼ばれないかぎり顔を出さないようにしているんだけど、その日は卒業と進学のお知らせをしたくて自分から会いに行ってしまったのだ。
そして、キャンパスで工藤さんに出会った。

「あ、コマ子ちゃ〜ん!」

美しい黒髪をたなびかせて手を振る工藤さんはまるで雪の女王のよう。
わたしは無意識に、自分の色素の薄いくしゃくしゃなくせっ毛を両手でなでつけた。

「久しぶりね、御門に会いに来たの?」
「……はい。すみません」

背の高い彼女を見上げながら思わず小さい体をさらに縮こませて、小さく頭を下げた。
すると工藤さんは可笑しそうにくすっと笑うと、上品な動きで左手を口元にあてた。

「コマ子ちゃんってばすぐ謝るんだから。悪い癖よ?」

――はい、すみません

いつもなら、つい飛び出して「ほら、また!」と優しくたしなめられる言葉が、その時は出てこなかった。

工藤さんの指には、見慣れない銀色の指輪がはめられていた。

「……その指輪」
「ん?やだ、分かる?……って分かるに決まってるわよね。うふふ」

そう言って工藤さんはとても幸せそうに笑った。

「ようやく彼も覚悟を決めてくれたみたいなのよ。長かったわ……。
コマ子ちゃんもごめんなさいね。憂さ晴らしに使っちゃったりしたこともあったし、嫌な思いをさせてきちゃったんじゃないかしら?」
「……そ、そんな!わたしの方こそ、工藤さんが優しいのをいいことにいつも甘えちゃって……」
「あら、それはいいのよ。わたし、コマ子ちゃんに甘えられるの好きなんだから。これからもいっぱい甘えて頂戴」
「……はい」

わたしは、頑張ったと思う。

「本当に、おめでとうございます。幸せになって下さい」

わたしは、ちゃんと笑えていたと思う。

  +

その日、わたしは部屋で目一杯泣いた。
布団をかぶって、夕飯に呼ばれても返事を返すことも出来ずに泣き続けた。
気づいたら朝になっていて、さすがに親も心配しているかもしれないと思って、まだ暗いうちに起き出して腫れた顔をタオルで冷やした。それでもあんまり効果がなくて、仕方なくその顔のままリビングに顔を出すと、両親はわたしの顔を見てこう言った。

「あらやだ、昨日泣いてたの、コマ子だったの?」
「なんだ、また悠人が女の子を連れ込んで泣かしているのかと思った」
「なんでもいいけど、裁判になるようなら早めに言ってね。今は咲子の離婚調停だけでこっちは手が一杯なんだから」

上4人の姉兄姉兄の波瀾万丈な恋愛模様を見守ってきた両親には、末娘の失恋など些細なことらしい。

  +

「つまり、先輩が本気で付き合う、もしくは結婚するつもりで工藤さんに指輪を贈ったから、刈谷は諦めて身を引く……とそういうこと?」

そうか、要約しちゃうとそういうことなのか……。
ここ数日間、うだうだ考えてようやくまとまった一大決心は、こうやって要約しちゃうとなんだかすんごく安っぽい気持ちっぽく響いてちょっとショックだな。

「……まぁ、わたしとしては願ったり叶ったりだけど。もうかれこれ2年以上、ずーーーと、あの男はやめておけって言ってたんだから。あんな男にはその工藤さんとやらがお似合いよ。刈谷にはもっといい男がいるわ」
「……いるかな?」
「いるに決まってるでしょ!よし、そうと決まれば話しは早い!合コンやるわよ!!」
「……合コン?」
「そう!見てなさい!あたしが刈谷のために厳選したのを連れてきてやるから!」

鼻息荒く意気込む亜弓ちゃんは、女だけどすごく漢らしくて格好いい。

「……亜弓ちゃん、ありがとう」

自然とこぼれたわたしの言葉に、亜弓ちゃんははっと我に返った表情をすると、くしゃっと顔を歪ませるとぎゅっと抱きついてきた。

「あ〜もう!なんであたしは女に生まれて来ちゃったんだろう。あたしが男だったら絶対刈谷を彼女にするのに!!」

亜弓ちゃんの言い方が、本気で残念がってそうに聞こえて、わたしは可笑しくなってくすっと噴き出した。

「わたしも亜弓ちゃんが男の子だったら亜弓ちゃんと付き合ってたかも」
「でしょでしょ〜」
「うん。でも、それだと亜弓ちゃんの彼氏の浅田くんが可哀想だからやっぱりダメだね」
「え〜?いいんだってあんなヤツ!」
「もう!そんなこと言ったら浅田くん、泣いちゃうよ?」
「いいのいいの。あたしは刈谷の方が大事だも〜ん」

亜弓ちゃんは抱きつきながらわたしの髪をくしゃくしゃっとなでた。
乱れた髪を「きゃーきゃー」言いながら直しては乱されて、わたしたちは転がりながらじゃれあった。


  +

「ところで亜弓ちゃん?わたし前から気になってたんだけど、なんで最近、わたしのこと”刈谷”って呼ぶの?」
「……だって、”コマ子”だと、あの男と呼び方がかぶるじゃない。なんか癪だからやめたの!」

いつもはクールな亜弓ちゃんのすねた口調が可笑しくて、わたしはまた大爆笑してしまって、亜弓ちゃんに怒られた。



初めての恋は、嬉しくて楽しくて幸せだったけど、その分苦しくて悲しくて惨めなことも多かった。
それでも、こうして笑っていられるのは、わたしが一人じゃないからなんだと思う。

わたし、「皇帝陛下の小間使い」は、初めての恋を終わらせる決意をしました!




目次