【終章 ロミオの答え】
月日はあっという間に過ぎ去り、俺たちは今日、卒業した。
お涙ちょうだいの答辞に、在校生からの歌の贈り物。
お決まりの卒業式だった。
最後のHRも終わり、今はそれぞれ好きなところへ散らばっている。
俺はクラスのヤツらと3年校舎の前で駄弁っていた。
今年の冬は暖かかった。
夏が暑い年はその反動か冬が死ぬほど寒かったりするから正直覚悟していたのだけど、そんな心配をよそに降雪量も少なくてかえって物足りなく感じたくらいだ。
それでも、やはり卒業式が晴れてくれたのは気分が良かった。
本州のように桜吹雪の中卒業……という訳にはいかないけれど、いくらなんでも本物の大吹雪の中送り出されたくはない。
道路が雪解けの泥水で汚いのは、まあ、目をつぶろう。
「陽介」
呼び声に振り返ると、レンがすぐ後ろに立っていた。
「俺たち、ちょっと寄るとこあるから、1組の教室で待ってろよ」
レンはそう言って、周りにいる連中を親指でぐるっと指さした。
「なんだよ、寄るとこって。用あるなら先帰るぞ」
俺がそう言うと、カイが慌てて俺の腕を引っ張った。
「ダメだって。一緒に帰るんだから。今日で最後なんだから、ちゃんと待っててよ」
何だ?何でこんなにムキになってるんだ?慕われてるとは思っていたけど、俺はこんなふうに懇願されるほどこいつに好かれてたのか?
「だったら、俺もそっちの用に付き合おうか」
「いや、いい。お前は教室で待ってろ!いいな。1組の教室だぞ」
レンはそう言うと中庭の人混みの中へ走って行ってしまった。
他のヤツらもなんだか意味ありげな顔で俺の肩を叩いたりしてレンの後を追った。
何なんだ、一体。訳分かんね。
取り残された俺は、首をかしげながらも仕方なく階段を上っていった。
式が終わってもう30分以上たつのに、帰ったヤツはほとんどいないみたいだ。
外だけでなく、校舎からも大はしゃぎするヤツらの声がいくつも聞こえる。
俺は階段を登り切って、のんびりと教室の方へ歩いていった。
ついさっき最後のHRをすませた教室。
文集と卒業アルバムを配り、最後にみんなで記念撮影をした。そう言えば、あの写真は一体どうやって配るつもりなんだろう?まさか一人一人郵送するつもりだろうか?
……あの担任ならやりかねないな。
俺はふっと笑って教室のドアを開けた。
意外にも、教室は空だった。
隣の2組からは絶えず人の話し声が聞こえていると言うのに、うちのクラスの連中はこの教室にあまり愛着をもっていないのだろうか?
まあ、俺もさっきまで下にいて、レンたちに言われなければここへ来ようなんて思いもしなかったのだから他のヤツらを責められはしないけど。
俺は目に焼き付けるような気持ちで教室をぐるりと見まわした。
ノスタルジーに浸るようなガラじゃないけど、今日で最後だと思うと自然としんみりした気分になってくる。「最後」と言う言葉の持つ魔力はあなどれないな。
俺は何気なく、窓際に目をやった。
窓際前から3番目。
これが俺の最後の席だ。
この席はズルではなく、純粋にくじ引きで引き当てた。
田中はたしか廊下側後ろから2番目だったな。
前の席は、俺が窓際後ろから2番目、田中は廊下側前から2番目。
一応、覚悟を決めてくじを引いたつもりだったのだけど、俺と田中は点対称になるように運命づけられているかのようだ。
結局、俺と田中が個人的に言葉を交わしたのは、あの本番前日のあの時だけだった。
俺たちは別々の高校へ進む。
きっともう、会うことも話すこともないだろう。
俺はゆっくりと歩いて、窓際に立った。
下を見おろすと、グランドにも人がぱらぱらと残っていた。
いくら雪が少なかったとは言え、グランドの隅の方には溶けて露出した土の色に薄汚れた雪山がこんもりと残っている。でもグランドの中央あたりは、1ヶ月前の銀世界が嘘のように本来の色を取り戻していて、数人の男子が制服姿のまま泥で汚れるのも気にせずボールを追いかけていた。
どうせ今日で卒業。汚し倒してしまおうという口だろうか。
……ん?
サッカーをしているヤツらを目をこらしてよく見ると、レンやカイ――、さっきまで俺と一緒にいたヤツらだった。
なんだよ、「寄るとこがある」とか言ってサッカーしてるんじゃないか!
なんで俺だけ仲間はずれなんだよ!
文句を言ってやろうと思って身を乗り出した瞬間、ドアが開く音がした。
――よく似た状況が前にもあった。
ゆっくり振り返ると、思った通りの人物が俺の顔をじっと見つめて立っていた。
そして、以前と同じようにゆっくりした歩調で近づいてきた。
ただ、前と違うのはそいつの表情。
あの時は下を向いて頼りない足取りだったけど、今日は堂々と胸を張ってまっすぐ俺を見つめて歩いてくる。
そいつは俺の目の前に来ると、立ち止まって後ろ手に持っていたものを前に持ち直した。
手にしていたのは卒業アルバム。
そいつは表紙をめくるとそれを俺の方へ差し出した。
「書いて」
見ると、そこにはすでに後輩や友達からと思われるメッセージがいくつも書き込まれていた。
女子特有の丸っこい字で「わたしのこと忘れないでね」とか「大好き」とか、こっ恥ずかしい言葉が並んでいる。
ここに俺にも書けと言うのか?
固まって文字を凝視する俺に無理矢理アルバムを持たせると、ブレザーのポケットに入れてあったペンを差し出した。
「書いて」
もう一度、さっきよりも強い口調でそう言った。
9月のあの日の光景がフラッシュバックした。
あの日、田中は足下をじっと見つめて、俺はそんな田中を眺めていた。
今、俺はアルバムをじっと見つめて、田中はそんな俺を睨みつけている。
あの日、俺は田中に答えることが出来なかった。
答えるのが怖くて、逃げ出した。
田中は、今度こそ俺を逃がすつもりはないようだ。
あ、そうか。
レンたちの奇妙な行動。
空の教室。
レンたちは知ってたんだな。田中がこうすることを。
クラス全員(+レン)が協力しているんだ。こりゃ、逃げられそうにないな。
俺は天井を仰ぎ見た。
『今でも、わたしのことが嫌い?』
あの日の質問。
分かったよ。
答えてやる。
俺はペンを受け取り、空いているスペースにさっと一言書き付けた。
書いてしまえば簡単な答えだった。
でも、こんな簡単な答えを言うのがあの時の俺にはものすごく難しいことだった。
俺は自分の文字をまじまじと見つめると、表紙を閉じて無造作に押し返した。
アルバムを受け取った田中はしばらく表紙をじっと見つめていた。
そして、意を決したような表情でアルバムを開くと、俺の文字を探して目が泳がせた。
しばらくして、目当てのものを見つけたのか目が一カ所で止まった。
田中の目元と口元が徐々にゆるんでいく。
俺はその様子を満足げに見守った。
『キライじゃない 原田陽介』
(了)
あとがき
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