【3章 ジュリエットの気持ち】
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「え?」
わたしは金村さんに顔を戻した。
「1週間くらい前だったかな。放課後、いつもは練習終わったら真っ先に帰る原田くんが、遅くまで残ってておかしいなと思ったら、帰りにつかまってね。どうしても気になって仕方なかったんだって」
「なんて答えたの?」
「ん?さっきと一緒。『分からない』『自分で考えろ』」
さらっと言ったけど、原田に向かってそんな口をきける人は、うちのクラスでは担任含めて金村さんだけじゃないだろうか。
「その後からなんだよね。原田くんって、それまでやる気のなさがにじみ出てるような演技だったでしょ。それがあれ以来、戸惑ってるような演技になった。
まあ、それはそれでロミオっぽくていいかなとも思うけどね」
そう言ってにこっと笑った金村さんは、次の瞬間「あ……」と何か思い出したように言葉をきった。
「そう言えば、あの日、帰りに田中さんにも会ったね。忘れ物を取りに来たとか言って」
じゃあ、金村さんが言ってる「あの日」とは、わたし原田と遭遇した「あの日」のことだったのか。
「もしかして、原田くんと何かあった?」
金村さんは心配そうな口調でそう言った。
「田中さんも、あの日以来、演技がガラっと変わったよね。前はもっと熱い演技だったのに、妙に冷めてるというか」
びっくりした。
わたしってそんなに分かりやすかっただろうか。
ラストシーンの演じ方は、一人鏡の前で練習していた時とは明らかに違うと思う。
でも、それ以外のシーンは自分ではそんなに変わっていないと思っていた。
「よく見てるね」
そら恐ろしい気持ちでそうつぶやくと、金村さんは悟りきったような顔をした。
「わたしは第三者だから。当事者よりも、傍観者の方が広い視野で見れるものなんだよ」
そうかもしれないけど、普通の人にはここまで洞察力はないと思う。
「で、あの日、原田くんとは何か話した?」
美砂や皆子に聞かれても、話す気になれなかったのに、金村さんからは、からかいや好奇心が欠片も感じ取れないからだろうか、何故か話さないといけないような気になってくる。
やっぱり魔力だ。
「話しかけてみたんだけど、答えてくれなかった。やっぱりダメみたい。分かっていたけど、ちょっとショックだった」
金村さんが何か言おうとして口を開きかけた。
質問を予想したわたしはそれをさえぎるように、「何を聞いたかは聞かないで」と早口で言った。
今思い返してみると、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
よくよく考えてみると、嫌いかどうか聞くのは、好きかどうか聞くのとほとんど同義だ。
「嫌いじゃない」はそのまま「好き」とイコールでないことは分かっているけど、それに近いニュアンスを含んでいるのだ。
「なんか、本当に嫌になっちゃう。わたしってなんでこんなに嫌われてるんだろうって」
「原田くんは、ああみえて意外とシャイなのかもね」
……。
なんだか会話がかみ合ってない気がする。
なんで「わたしが嫌われてる」から「原田はシャイ」という発想が生まれるんだろう。
「どういう意味?」
「うーん……。言ってもいいのかな……」
金村さんは口の中でごにょごにょとつぶやいた。
そう言われると俄然気になる。
金村さんは、わたしの顔をうかがうと、一度「うん」とうなずくと、何かを決意したような顔で
「これはあくまでわたしの印象でしかないんだけど」と前置きをして、背筋をぴんと伸ばした。
わたしもつられて佇まいをただした。
「原田くんは、田中さんが思ってるほど、田中さんのこと嫌いじゃないと思うよ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
そして、数秒後に、言われた言葉を理解したわたしは、笑って否定した。
「そんな訳ないよ。原田はわたしが嫌いに決まってる」
「別に決まってはいないと思うけど?田中さん自身の気持ちだってそうだよ。気付いてる?田中さん、原田くんのこと嫌いって言う時、すごく自分に言い聞かせるように言ってるよ。思い込もうとしてない?嫌いなんだって」
思いがけない切り返しにわたしはひるんだ。
「田中さんはさ、原田くんのこと嫌いなんじゃなくて、『怖い』んじゃない?」
「それは……。たしかに、怖いよ。前にも言ったと思うけど、嫌いだし、怖い」
「ん〜、それは、『嫌い、且つ、怖い』ってことでしょ。そうじゃなくて、例えば、今、目の前に人食いライオンがいたとするでしょ。そうすると、ほとんどの人間は近寄らないよね。でもそれはライオンが『嫌い』だからじゃなくて、『怖い』からでしょ。
田中さんの原田くんに対する態度って、それに近いような気がするんだよね」
「違う、違うよ!怖いけど、だけど、嫌いでもあるの」
「じゃあ、田中さんはなんで原田くんのことが嫌いなの?
昔いじめられていたから?無視されたから?」
金村さんはたたみ掛けるように問う。
胸が、どっど、と激しく脈打ちはじめた。
それ以上は、ダメだ。
金村さんが何を言おうとしているのかは分かる。
でも、ダメだ。その質問は。
だけど、逃げられない、魔力を持った瞳がわたしを吸い込む。
金村さんはついに、一番聞かれたくない質問を、わたしにした。
「それとも、それとは別に何か嫌いでないといけない理由でもあるの?」
嫌いでないといけない理由。
わたしはどっと心の奥底からあふれ出してきた苦い思いに押しつぶされそうになった。
嫌いだった、原田のこと。
小6のあの日以来、わたしは原田を嫌う理由が出来た。
その理由――。
ずっと心の奥に閉まってきたあの感情――。
思い出しそうになって、わたしは大きく首を振った。
金村さんはあわててわたしの震える手をとった。
「ごめん、田中さん。別に詰問するつもりはなかったんだけど。ただ、ジュリエットの気持ちを考える参考になるかと思って……。でも、そんなに思いつめるようなことだったら、考えなくてもいいよ?」
覗き込むようにわたしを見つめる金村さんの目には心配の色以外のものは見あたらなかった。わたしはまた自分のことばっかり考えて、人に迷惑をかけてる……。
「ううん、ごめん。ちゃんと、自分の心を整理してみる」
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