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 【3章 ジュリエットの気持ち】


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 わたしと原田の距離がどんどん縮まっていく。
 怖い、怖い、と心臓が叫び声を上げている。
 でも逃げてはダメだ。立ち向かわなければ。

 嫌いでもいい。ううん、嫌いでいい。
 存在を否定されるくらいなら、嫌いでいい。

 ゆっくりゆっくりと近づく。顔を上げることは出来なかった。
 歩くたびに視界に入る自分の足が小さく震えている。
 原田との距離が一メートルほどまで縮まったところで、わたしは立ち止まった。
 これ以上近づくことは不可能だった。
 原田の視線がわたしの頭にそそがれているのが分かった。

「あの」

 絞り出すようにして出した声は、笑えるぐらい情けないものだった。

「聞きたいことがあるの」

 聞きたいこと。
 聞くのがバカらしいほど答えが分かり切った質問。でも、これにすべてがかかっている。

「イエスかノーだけでいい。答えてほしい」
 
 思った以上に声が震える。わたしは、お腹の前で両手をぎゅっと握りしめた。

「原田は……」

 声がつまった。頑張れ。聞くんだ。

「原田は、今でも、わたしのことが嫌い?」

 そう、答えは分かってる。イエス。
 それ以外の答えなんて期待してない。
 答えてもらう、そのことに意味があるのだ。

 わたしはじっと待った。
 手も足もまだ震えがとまらない。
 心臓はこれでもかってくらいバクバクしている。時計の秒針の倍速はありそうだ。

 お願い、答えて。

 わたしたちの関係を、ロミオとジュリエットの関係に近づける。
 せめて小学校の時の関係に戻すんだ。

 チクタクという時計の音と、ドッドッドという心臓の音が混じり合う中、わたしは待った。
 1分だったのか、2分だったのか、はたまた30秒くらいだったのか。
 とにかく、永遠とも思える時間、わたしは待った。
 原田は身じろぎ一つ見せない。

「原田」

 我慢出来なくなって、もう一度問いただそうとした時、チャイムが鳴った。

『完全下校時間になりました。校内に残っている生徒は速やかに帰宅しましょう。繰り返します』

 放送部のはきはきした声が憎らしく響いた。
 タイムオーバーか。
 そう思って、スピーカーを振り返った瞬間、原田が動いた。
 何かに追い立てられているかのように慌ただしい動きでわたしの横を通りすぎると開きっ放しだったドアから出て行った。

 わたしはその後ろ姿を呆然と見つめた。
 なんて呆気ないんだろう……。
 涙は出てこなかった。
 かわりに喉の奥から何かがこみ上げてきた。

「はは」

 口から出てきたのは笑い声だった。

「はは……あははは」

 なんで笑っているのか分からなかった。でも、止まらなかった。

 何だったんだろう、わたしの勇気は。
 バカみたい……。本当にバカみたい。

 原田は選んだ。現状維持を。
 変わらない「今」を選んだ。
 嫌いですらない、今の状況を選んだんだ。

 ジュリエットと同じ位置に立とうと思ったのに。
 原田はわたしと同じ舞台に立つ気はないんだ。
 原田は一人でロミオを演じるつもりなんだ。

 それならいい。わたしも従うまでだ。
 わたしも一人でジュリエットをやる。
 もうどうでもいい。
 優賞も、劇の成功も。

 何もかも、どうでもいい。