【3章 ジュリエットの気持ち】
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次の日、わたしは悶々としたまま学校へ行った。
その日は1日中、落ち着かなかった
もやもやした気持ちのまま、朝練をこなし、授業を受け、掃除をした。
一度考え出すとドツボにはまってしまうのはわたしの悪い癖で、気を抜くとすぐ意識がどこかへ行ってしまう。
部活の間だけでも劇のことは忘れよう。
わたしは気を引き締め、意気込んで部活へ行った。
努力のかいあっていつも以上に集中して練習できた。
片づけを済ませ、いつものように美砂と談笑しながら校門へ向かった。
それでも心の中では「また、家に帰ったらまた練習しなくちゃ。いやだ、いやだ」。
そんな鬱々とした気持ちでいっぱいだった。
どんよりした気持ちで歩いていたわたしは、はっとして立ち止まった。
劇のことに気を取られすぎて、大量に出された数学の宿題を机に入れっぱなしだったことを忘れていた。
美砂に先に帰るように言うと、わたしは3年校舎に駆け込んだ。もう完全下校5分前だ。急がないと校門が閉められてしまう。
階段を駆け上り、少し息を整えた。運動不足だから、ちょっと走っただけですぐこれだ。
近くでガラっとドアを開く音がした。たぶんうちのクラスだ。「誰かいるのかな」と思って顔を上げると、金村さんが教室のドアを閉めているところだった。
金村さんはわたしの姿に気付いて「あれ、どうしたの?」と言った。
わたしは笑顔で金村さんの方へ歩いていった。
「うん、忘れ物しちゃって。金村さんはまだ残ってたの?」
こんな下校時間ぎりぎりまで練習していたんだろうか。校舎はしーんとしていて、他に人の気配はない。金村さんは文芸部で部長もしているから忙しいだろうに、まったく頭が下がる。
「うん。田中さんは部活?」
「そう、あっちも追い込みだから、もうてんてこ舞いだよ」
そう言って笑うと、金村さんも笑ってうなずくと、教室の方をちらりと振り返った。
「じゃあ、わたしは帰るね。お疲れ」
金村さんは手をさっと挙げると、背筋をぴんと伸ばして去って行った。
「うん、金村さんもお疲れ〜」
わたしは遠ざかる後ろ姿に声をかけた。
さあ、わたしもさっさとプリントを持って帰らないと。
前のドアを開いて教室に一歩足を踏み入れた。
そして、目に飛びこんできた人影を見て、固まった。
原田が肩に鞄をひっかけ、今まさに立ち去ろうと言う体勢で立っていたのだ。
なんで原田がここに?
いつも練習が終わるとすぐに帰るのに!
怒濤の勢いで疑問が押し寄せてきた。
原田も突然のわたしの登場に度肝を抜かれたようで、幽霊でも見たかのような顔をしている。
ふと、わたしは我に返った。
突然のことで、わたしは思わず原田の顔をまじまじと見つめてしまっていたことに気付いた。 慌てて目をそらすと、自分の席へ飛んでいって机を覗き込んだ。
なんでこんな時に限って忘れ物なんかしたんだろう。
心の中で「バカ、バカ」と自分を罵倒した。
金村さんも知っていたなら教えてくれればいいのに!
あ、そうか。原田は金村さんと劇のことを話していたのか。
金村さんは、なかなかやる気にならない原田に対して、ずっと痺れを切らしていた。
でも、「強制しても意味ない」と、放課後は自主練にしたのは金村さんだ。
その金村さんが、原田をこんな時間まで無理矢理残させる訳がない。と言うことは、原田は自主的に残っていたのか。
ちょっと意外だった。原田は金村さんと何を話していたんだろう。
それにしても、この心臓の音はどうにかならないものだろうか。
階段を駆け上った時よりも、激しく胸打ってる。
同じ教室に2人きり、ただそれだけでどこまで速くなるんだこの鼓動。
わたしと原田の距離は3m近くある。
目を合わせた訳でも、言葉をかわした訳でもないのに。
劇の練習のときは必ず誰かがそばにいた。2人だけになることなんてまずなかった。
だから、平気になった気になっていたのかもしれない。
わたしは今でも原田がこんなに怖い。
もう10日もしたら、わたしは舞台の上で原田と向き合い、原田に向かって「嫌い」だと言わなくてはならない。
怖々でいいのなら言えるかもしれない。
でも、ジュリエットは勝ち気なのだ。憎しみをあらわにしなくてならない。
わたしに言えるだろうか。
3mも離れて、ただ立っているだけで息がつまるわたしに言えるだろうか。
何が「大丈夫そう」だ。
全然ダメじゃないか。
プリントを机から取り出し鞄にしまいながら、わたしは神経を尖らせた。
原田はわたしが教室に入ってきてからまったく動かない。
原田は今、何を考えているんだろう。
小学校の時の原田だったら、悪口の1つや2つ言っただろう。
そしてわたしはおびえながらも、原田のことを恨んで嫌うことが出来た。
原田はわたしが嫌い。だからわたしも原田が嫌い。
小学校の時のわたしたちの関係は単純明快だった。
でも、今のわたしたちは何なんだろう。
悪口を言われる訳ではない。
睨まれも笑われもしない。
じゃあ、小学校の時よりいい関係になったかと言われれば、まったく違うと言うしかない。
原田は変わらずわたしのことが嫌いなはずなのに、わたしなんか存在しないかのように無視してくる。
そんな態度をとられたら、わたしも同じように無視するしかない。
見ない、話さない、近寄らない――。
なんて異様な関係なんだろう。
これなら小学校の時の方がマシだ。
お互い、嫌いだったけど、ちゃんと相手のことは認めていた。ロミオとジュリエットがそうであるように。
自分を憎むロミオに対して、ジュリエットはひるまず立ち向かう。
あの頃のわたしには、立ち向かうだけの勇気と度胸がなかった。
ジュリエットだったらどうしただろう?
悪口を言われたのなら、勇気を振り絞って言い返せばいい。
睨みつけられたのなら睨み返せばいい。
笑われたのなら、こっちも笑ってやればいい。
でも、無視されてしまったら、どうやり返せばいい?
何も出来ない。
わたしも無視するしかない。
今のわたしたちは、あらゆる人間関係の中で、最悪の状態にあるんだ。
互いに存在を無視していれば、衝突することはないんだから楽かもしれない。
でもそれではなんにも変わらない。
このままじゃダメだ。
このままじゃ、本番、舞台で原田の前に立つことなんか出来ない。
わたしは震える心と体に無理矢理言い聞かせて、一歩足を踏み出した。
ドアでなく、原田の方へ。
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