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【2章 ロミオの戸惑い】


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 那須の語った「田中月夜」は俺の抱いていたイメージと随分違った。
 俺は、てっきり田中は俺の悪口を言いまくっているのかと思っていた。でも今の言葉を信じるなら、田中は那須には俺のことを一切相談していないと言うことになる。

 ただ、那須の知っている「田中月夜」とは今の田中のことだ。
 今の田中はそう言う人間かもしれない。
 でも小学校時代もそうだったのだろうか。
 あの頃から、そんなに他人に嫌われることを怖がる人間だったのだろうか。


 ……もしかして、俺が原因で、そんな人間になってしまったのではないだろうか。

 何がきっかけだったのかは覚えていない。
 田中が聞いたら腹を立てるだろうが、いつを境にいじめはじめたのか俺はまったく思い出せない。多分、何か気にくわないことでもあったんだろう。
 そもそも、俺はあれを「いじめ」だとは認識していなかった。覚えているのは、軽い気持ちで言った言葉に田中が必要以上に反応していた、と言うことだけだ。

 俺が目をやるだけでおどおどと蛇に睨まれたカエルのような目をしたり、軽い悪口を言われただけで大げさにショックを受けた顔をして悔しそうに目をそらす、その態度にムカついたのは確かだ。悲劇のヒロインぶるなと、腹が立った。

 俺にとって、あいつへの悪口は遊びのようなものだった。
 まわりのヤツらが俺のマネをして一緒になって悪口を言い出すのを見るのも、ゲームを共有しているようで楽しかった。
 俺らの中で本気で田中を嫌っていじめてやろうと思っていたヤツは、おそらく誰一人いなかったはずだ。

 なんとなく始めたゲームは習慣になり、途中でやめることが出来なくなっていた。
 田中も初めこそいちいち反応していていたけど、何ヶ月も経つとだんだん何を言われても俺の方を見なくなった。
 そのあたりでやめていればよかったのだと、今は思う。
 でもあのころの俺はてんでガキで、相手の気持ちを推し量ろうなんて考えもしなかったし、自分たちさえ楽しければそれでいいと思っていた。


 ある日、田中が1日だけ学校を休んだ。
 田中は病弱と言うほどではないけど人並み程度には病欠するヤツだったから、俺はそのことを深く考えなかった。
 さっき那須が話したことをあの時の俺が知っていれば、きっとあんなバカなマネはしなかった。

 田中は落ち込みすぎると、学校を休む。

 那須はそう言っていた。
 おそらく田中は、俺の悪口に限界を感じていたんだろう。
 1日だけでもいいから現実から逃れたかった。
 そのために一日だけ学校を休んだのだ。
 それなのに再び登校して来たあいつに向かって、俺は追い打ちをかけるようなことを言った。

「なんであいつ学校来てんだよ。もう一生来なくていいのに」

 俺にとっては何てことのない、いつもの悪口だった。
 仲間が俺に同調するように笑った。
 でも、その笑いは長くは続かなかった。
 田中の目から涙がこぼれたのだ。
 泣くまいと、必死でこらえようと、くちびるを強く噛みしめ目頭おさえているけれど、意志に反して涙は止まりそうになかった。

 田中の友達があわてて田中を取り囲んだ。
 俺のまわりに嫌な空気が流れた。
 戸惑い、焦燥、そして、俺への非難――。
 俺は焦った。世界中が俺を指さして罵倒しているように感じた。

 ふざけるな。お前は悲劇のヒロインじゃない。泣いて同情を引くなんて最低だ。

 こんな状況になっても、俺はそんなことを考えていた。
 俺は知らず知らずのうちに舌打ちしていた。
 それが田中に聞こえていたかどうかは分からない。
 けれど、そのすぐ後に、田中は嗚咽を交えながら、
「もう……学校来ない」
 そう言った。そして顔を覆って泣き出した。

 たまらなかった。
 俺の一言が、こいつにとってこんなに影響力のあるものだなんて考えてもいなかったのだ。

 田中が登校拒否になってしまうかもしれない。

 そう頭をよぎったとき、俺は初めて怖くなった。


 その時だった。一人の男子が田中に近寄り顔を覗きこんだ。

「おいー、何泣いてんだよ。ほら、泣きやめよ」

 そいつは俺の仲間ではなかったけど、しょっちゅう女子をからかっては怒らせているヤツだった。田中も例外ではなく、そいつに何かを言われてはむくれている姿をよく見かけた。言ってる内容も、俺が田中に言っていたことと大差なかった。だから俺は、そいつと俺は同類だと思っていた。

 でも違った。
 田中は、おどけて笑わそうとするそいつをちらりと見ると、涙をふいて苦笑して見せたのだ。
 そして「そう……だね」と言って、まわりの友達に笑って見せた。その男子も満足そうに笑っていた。

 その光景を見て、俺は悟った。俺とそいつの違いを。
 そいつはやることなすことガキっぽかったけど、俺なんかよりずっと大人だった。
 同じ悪口でも、言っていいことと、悪いことがあったのだ。
 そいつは、田中に限らず悪口を言う時は本人に面と向かって言っていた。
 言われた方も負けずと言い返していた。
 あいつは、言い返してこない相手には決して悪口は言わなかった。
 そう言う意味であいつはレンと同じだ。
 相手の反応あってこその言葉だ。一方的に罵るだけの俺とは違う。
 そう、あいつのは「いじめ」じゃない。「ケンカ」だったんだ。

 俺は田中に心があることを無視して、ただ自分の快楽のために向き合うことなく聞こえよがしに悪口をぶつけた。
 俺がしていたことはゲームなんかじゃない、れっきとした「いじめ」だったのだと、この時初めて気付いた。

 でも、気付くのが遅すぎた。
 もっと早く気付いていたら、いじめるのに飽きたふりをして自然にやめること出来た。
 でも、俺はあいつを泣かせてしまった。
 泣かせたあとすぐにやめたりしたら、涙に屈したことになるんじゃないか。
 そんな妙なプライドが働いてやめるにやめられなかった。

 いまだに近寄るだけで身をこわばらせる田中を目の当たりにして、心が痛むことがあるけど、どうしようもなかった。
 自分がまいた種、自業自得としか言いようがない。




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