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【2章 ロミオの戸惑い】


3-(2)



 その時、誰かが階段をものすごい勢いで駆け上ってくる音が聞こえてきた。
 その音の主はそのまま走ってうちの教室の前まで来ると、開けっ放しだったドアから勢いよく飛び込んできた。
 そして、「つくよちゃーん」と絶叫に近い声で呼びながら田中目指して突進した。
 がたがたと言う音とともに、田中は寄せられていた机に追いやられた。
 見るからに評準体重を下回ってる細い身体は、突然の衝撃を受け止められなかったようだ。

「りえちゃん?」

 4組の鈴木りえ。
 顔をぐちゃぐちゃに濡らして、田中にしがみついている。

「もういや!もうやだ!辞める。あたし吹奏楽部辞める」

 田中は眉間にしわをよせた。

「もうあんな子たち知らない。あたしなんかさっさと引退すればいいと思ってるんだもん。お望み通り辞めてやるわよ!だってそうでしょ!なんであたしばっかり後輩にバカにされなきゃいけないのよ!」

 鈴木は悲しんでいるのかと思えば、むしろ怒っているようだ。
「うん、うん、分かったから……」
 なだめようとする田中の言葉を遮って、鈴木はまたもやヒステリックな声を上げた。

「もう、絶対辞める。今度こそ本気なんだから、あたし絶対部活辞めるから!」

 ぎろりと睨みつける鈴木の目を見て田中は観念したようにため息をつき、困り顔で金村さんの方を見た。

「ごめん、まだ時間ある?ちょっと抜けるね。もし時間になっても帰ってこなかったら、先にわたしの出番がないシーン練習してて」

 金村さんがうなずくのを見届けると、田中は鈴木の肩を抱いて教室を出て行った。
 台風一過。
 そんな言葉が頭をよぎった。


「ったく、つくよんもほっとけばいいのに」

 那須がむすっとした表情でぼそりとつぶやくと、金村さんが不思議そうな顔をした。

「那須さんも吹奏楽部でしょ。心配じゃないの?」
「別に〜。りえっちの『辞める』宣言は日常茶飯事だもん。今年だけで少なくとも5回は聞いた。1年の時から数えたら両手両足じゃ足りないよ」
 金村さんは驚いた顔で「そんなに?」と聞き返した。
「そ、今じゃ相手にしてるの、つくよんくらい」
 那須はそう言ってあからさまに「呆れてます」と言う顔をした。

「そりゃね、あたしやミんナも――あ、うちの部長ね――初めのうちは真面目に聞いてたんだよ。でもさ、1回や2回ならともかく、5回も6回も同じ話聞かされてごらんよ、いいかげん嫌んなるよ。だから2年に上がった頃だったかな、あたしもミんナもあったまきて、『じゃあ辞めれば』って言っちゃったんだよね。したっけ、泣くはわめくはで大騒ぎ。でもあたしもミんナも本気で腹立ってたから、放ったらかして帰っちゃったんだ。
そん時、一人、りえっちを見捨てずに、根気強く話を聞いて、なだめて、説得して、引き留めたのが、つくよん。それ以来、りえっち、つくよんになついちゃってねえ。ちょっと嫌なことがあると、ああやってすぐにつくよんとこ来るの」

 金村さんは、「へえ」と感嘆の声を上げた。

「でも、そもそも、鈴木さんはなんでそんなに辞めたがってるの?」
 那須は何とも言えないような複雑そうな顔をして肩をすくめた。
「……なんて言うか、人間性の問題?て言うか、相性の問題?」
 金村さんが「分からない」と言うと、那須はもどかしそうに顔をしかめた。

「上手く言えないんだけど、人付き合いが下手なんだよね、りえっちって。敵を作りやすいって言うか、誤解されやすいって言うか。先輩がいた時は先輩と上手くいかなくて『もうやだ〜』。
先輩が引退したと思ったら、今度は後輩と上手くいかなくて『もう辞める〜』。
 たしかにりえっちだけが悪いって訳ではないんだよ。先輩も後輩もりえっちの話ろくに聞かずに、りえっちが悪いって初めからきめつけたりしてたから。
 でも、だからってりえっちばっかに同情してもいられないし。実際、先輩たちの言い分にも一理ある訳だから。まあ、どっちもどっちってこと」
「うーん、よく分からないけど、なんか難しいんだね」
「そうなのよ。ぶっちゃけそんなに嫌なら辞めてくれても、あたしは全然かまわないんだけど、つくよんはイヤみたいでね。つくよんってホント、部活大好き人間だから。一人でも部活で嫌な思いしてる人がいると放っておけないみたい。
 まあ、さすがのつくよんも、最近はりえっちのお守りにほとほと嫌気がさしてるみたいだけどね。つくよん、嫌って言えない性分だから……」

 那須は苦笑しながらふうと息を吐いた。
 金村さんが黒板の上にかかっている時計を見上げた。
 2時ジャスト。集合時間だ。
 那須も時計を見上げて苦笑した。

「戻って来ないね。頼られるとつき放せないってのは長所なようで短所だよね。時にはつき放すことも必要なのに。つくよんはちょっと八方美人なところがあるからなあ」

 ともすれば「陰口」とも取られかねない発言だ。
 言った本人にはまったく悪気がないようで、新たに教室に入ってきた続木たちに挨拶なんかしている。

 前から思っていたことだけど、那須と田中の組み合わせはなんともミスマッチだ。
 那須は田中以外では派手系の女子と仲がいい。
 一方、田中は那須以外では地味系の女子と仲がいい。
 クラスで仲のいい友達が1人もかぶっていない2人が、始終一緒にいるというのはとっても妙な感じだ。


「那須」

 那須は俺が自分たちの話を聞いていたことに気付いてなかったのか、突然声をかけられてきょとんとしている。
「何?」
「お前、なんで田中と仲がいいんだ?」
 素朴な疑問だった。
「へ?」
 那須はいかにもまぬけそうな顔でまぬけそうな声を出した。
「お前ら小学校の時は別に仲良くなかっただろ。なんで今はいつも一緒にいるんだ?」

「なんでって、楽しいから」

 即答だった。
 那須は一秒も考えることなく、あっさりと答えてみせた。
 俺はあまりに簡単な答えに拍子抜けしてしまった。

「楽しいから一緒にいるんだよ。他に理由が必要?」
 なんでそんな当たり前のことを聞くんだとでも言いたそうな口調だ。
「たしかにつくよんと仲良くなったのは中学入ってからだけど、小学校時代はつくよんの面白さに気付いてなかったんだもん」
「でも、お前ら全然性格違うだろ」
「違うから面白いんじゃん。あたし、別にナルシストじゃないし、おそろいキライだもん。自分とおそろいの友達なんて別にいてもいなくてもいいし。あたしみたいのはあたし1人で十分」

 何が言いたいのか、分かるようで分からない。

「でも、さっき『八方美人』とか言ってなかったか?」
 俺の言葉に、那須はこくんとうなずくと
「言ったよ、だってそうなんだもん」と、まったく悪びれもせずに返してきた。

「つくよんって人に嫌われることを極端に嫌がるの。だから人に相談されたら親身になって話を聞くし、愚痴にだって付き合う。でも、つくよん自身は絶対に人を頼らない。あたし、つくよんといつも馬鹿話ばっかりしてるけど、たまには真面目に相談にのってもらうことだってあるんだよ。
でもさ、つくよんはどうだろうって思い返してみると、まったくないんだよね。あたし、つくよんに相談されたこと一度もない。2年間、ずっと一緒にいて、1回もないんだよ」

 那須は悔しそうに顔をしかめた。俺は茶化すように「悩みがないんじゃね?」と言ったが、那須は「まさか」と言ってバカにしたような笑い声をあげた。

「ちょっと前のつくよんを思い出してみなよ。あんなにあからさまに落ち込んでるくせに、それでも頼ってくれないんだよ。つくよんは人に相談され慣れてるから『相談される』ってことがどんだけ人に負担を与えるかよく分かってるんだと思う。だから相手に負担を与えないために自分からは相談しない。つくよんは『人に迷惑をかける=嫌われる』って思い込んでる節があるから。嫌われたくないから人の相談に乗るし、嫌われたくないから自分の相談はしない――。
 ね、八方美人でしょ。
 そりゃね、りえっち並みにしょっちゅう愚痴られたら『ウザイ』とも思うよ。でも、つくよんの場合は言わなさすぎ。言えないでため込んで、一人で勝手に落ち込んで、卑屈になって……。それで学校休まれちゃたまんないし。
 つくよんって、華奢で病弱そうに見えて、あれで実はかなり健康優良児なんだよ。なのに、年に数回は突然学校休むでしょ。あれは十中八九心労だね。体壊すほど悩むくらいなら、一言相談してくれればいいのにさ。一度愚痴聞かされたくらいであたしがつくよんのこと嫌いになるとでも思ってるのかね。愚痴ばっかり聞かされるのも迷惑だけど、一人でうじうじされるのも同じくらい迷惑だって、なんで気付かないんだろう」

 憤慨と呆れが混じったような那須の顔を見て、金村さんが面白そうに言った。

「”愛のある悪口”だね。那須さんって、本当に田中さんのこと好きなんだ」

 那須は大げさにうなずくと「もちろん」と元気よく応えた。


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