小説TOP 前  次

【2章 ロミオの戸惑い】


3-(1)



 教室に入ると、まだ集合時間には間があるというのに、半分以上のキャストが集まっていた。
 早めに来たヤツらが机と椅子を教室の後ろ側へ移動させたのか、前半分に大きな空間が出来上がっている。

「陽介、何してたんだよ。俺とっくに着いてたぞ」
 鞄を置きに、窓際へ行こうとした俺を見て、カイが文句を言った。
「レンが離してくれなかったんだよ」
 鞄を放り投げて一息つくと、金村さんが近寄ってきた。

「原田くん、今日は早かったね。やる気十分?」

 前回、前々回と、大幅に遅刻してきた俺への嫌味だろうか。
 思わず冷や汗が出そうになった。
 金村さんの表情はにこやかだ。いや、にこやかすぎた。
 その笑顔があまりに完璧すぎて、余計に背筋が寒く感じたのは俺の考えすぎだろう。
 きっとそうだ、そうに違いない。

 ……じゃないと怖すぎる。

 俺は動揺を隠そうと、わざとむすっとした顔をした。

「別に。誰かさんが、親切にも俺の母親にわざわざ連絡してきやがったんだよ。おかげで今日は1時に家を追い出された」

 ぶっきらぼうにそう言うと、俺はカイの方をじろりと睨みつけた。
 カイは一瞬びくっと身体を縮ませたけど、すぐにごまかすように、にへらと笑った。


「あ、田中さん」
 俺は金村さんの言葉に反射的に視線を窓の方へそらした。
「つくよーん、おはよー」
 那須が大声で呼んでいる。
 わずかな苦笑とともにあいつが教室に入ってくる音が聞こえる。

「もう『おはよう』の時間帯じゃないけどね」

 那須の横あたりで、ものが置かれる音がする。田中の鞄だろうか。
「いいじゃーん、こまかいこと気にしすぎなんだよ、つくつくは」
 少し間があって、田中が怪訝な口調で言った。

「……何、『つくつく』って?」
「つくよんの新しいあだ名」
「またあ?やめてよ、人をセミみたいに呼ばないで」
「え、セミ?」
「ああ、つくつくほうし?」

 新しい声が加わった。金村さんだ。

「え、何、何それ。つくつくほうし?」
「那須さん知らない?北海道にはあんまりいないけど、『つくつくほーし』って鳴くセミがいるんだよ。『おおしいつくつく』だって言う人もいるけど」
「しらなーい。何それ面白い。よし。それ、つくよんのあだ名にしよう!
今日からつくよんは『つくつくほうし』ね」
那須はけたけたと笑いながら手を叩いた。

「ぜっったい、や・め・て」
「なんでぇ、面白いじゃん」
「美砂がわたしのこと『つくつくほうし』って呼ぶんなら、わたしは美砂のこと『なすみすな』って呼ぶから」
 那須はうっと息をつまらせた。
 そして、しばしの沈黙の末、しぶしぶと言った様子で「分かった、言わない」と答えた。

「『なすみすな』?…って那須さんのフルネームじゃない。なんでそれが嫌なの?」
 不思議そうに問う金村さんの言葉に、田中は「ああ」と言ってくすりと笑った。
「『なすみすな』って下から読んでみて」
「え?な、す、み、す、な……ああ、那須美砂!すごい、回文になってる」
 世紀の大発見をしたような声ではしゃぐ金村さんに、那須は不満げな声を出す。

「ふざけてるっしょ、うちの親。だいだい、あたし『那須』って名字、大っ嫌い。この名字のせいで小さい頃どんだけからかわれたことか」

 確かに、「なす」という響きを聞いて、まっさき頭に浮かぶのは、あの紫色の野菜だ。
 いじめられてもおかしくない。
 にもかかわらず、小学校で那須が名字のことでいじめられる場面に出くわしたことは一度もないのだけど。
 嘘か本当か知らないが、那須は幼稚園の時、名字をからかった男子を病院送りにしたことがあるらしい。それ以来、あえてからかうバカはいなかったのだ。

「あたし絶対結婚して名字変えてやるんだから」

 鼻息を荒くしてそう宣言する那須に、クラスのみんなが笑った。
 俺もついつられて笑ってしまった。



小説TOP 前  次