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 【1章 ジュリエットのため息】


 5-(2)



 きっかけはなんだったのかは、今でも分からないの。
 ただ、いつからわたしたちがこんなふうになってしまったかははっきりしている。

 あれは、小6の6月。
 休み時間、わたしは友達とおしゃべりをしていた。
 あいつも――原田も、自分の席の近くで他の男子としゃべっていた。
 わたしは、なんとなしに原田の方を見たの。
 「見た」って言うより「目を向けた」って言った方がいいかも。
 別に見ようと思って見た訳ではないから。
 あの時、わたしと目が合った原田は、こう言った。

「見るなよ」

 それがはじまり。


 それ以来、何かにつけて、あいつはわたしのことを悪く言うようになった。
 今思えば、他愛のないことばっかりだったんだけどね。
 「キモイ」とか「近寄るな」とか。
 でも、わたしは辛かった。

 一番、嫌だった悪口は「ごぼう」。
 運動会の時にハードル走で思いっきりこけて、足が土埃で真っ黒になったんだ。
 わたし痩せてるから足が棒みたいでしょ。真っ黒になった足がごぼうみたいだって……。
 それ以来、わたしのあだ名は「ごぼう」になった。
 給食でごぼうが出るたびに、「うっわ、ごぼうだ。汚ねえ」とか「俺、ごぼう嫌い」とか、聞こえよがしに言われた。


 こうやって話すと子どもっぽい嫌がらせでしかないんだけど、それでも集団で言われると、結構キツイものだよ。
 あいつは、クラスの男子の中心的な人物だったから、ほとんどの男子は、あいつと一緒になってわたしの悪口を言ってた。
 それまでわたしと仲が良かった男子も、何人かはあいつの側について、わたしに話しかけなくなっちゃった。
 女子もね、あいつはモテたから、あいつのこと好きだった女子がいたグループは、わたしのこと嫌っていたみたい。

 いじめ……うん、わたしもあれは「いじめ」だったと思ってる。
 ただ、救いだったのは、クラス全員が敵になった訳ではなかったこと。
 わたしと仲が良かったグループの子たちは、原田がわたしを嫌い出してもわたしを見捨てたりしなかった。変わらず友達でいてくれた。
 あの子たちには、本当にいくら感謝してもし足りない。
 あの子たちがいたから、わたしは耐えられた。
 登校拒否をすることも、自殺を考えたりすることもせずにすんだ。

 美砂?
 ううん、違う。
 意外かもしれないけど、美砂はわたしを嫌ってたグループに入ってたんだ。
 でも、美砂を恨んだことは一度もないよ。
 口はきかなくなったけど、直接悪口を言うことはなかったし、美砂個人がわたしのことを嫌っていた訳ではないって分かってたから。
 子どもにも「付き合い」ってものがあるから、仕方がなかったんだと思う。
 理不尽だし、悔しいとは思ったけどね、もちろん。


 原田のいじめは、ある意味すっごく「地味」だった。
 仲間内でだけ、わたしをターゲットに悪口に花を咲かせたり、シカトしたりする。
 殴る蹴るの暴行に出たり、給食にごみを入れたりとか、目に見えるいじめは一切しなかった。

 どんないじめも、まずは「言葉」からはじまるって、どこかで聞いたことがある。
 それがエスカレートして、暴力に発展するって。
 原田もそのうちエスカレートするんじゃないかと思って、いつもびくびくしてた。
 でも、そうならなかった。
 エスカレートはしなかったけど、原田のいじめは卒業するまでずっと続いた。
 エスカレートしなかったからこそ、かえって終わることもなかったのかもしれない。


 言葉のいじめは、目立たないの。
 だから、大人は気付かない。
 子どもって、しょっちゅう気軽に「バカ」とか「死ね」とか言うでしょ。
 だから、その言葉に本気で怯えて、本気でショックを受けてる子がいることになんか気付いてくれない。
 先生には言ったけど、「あんまり気にしちゃダメだよ」って言われて終わり。
 原田のいじめは、子どものおふざけ程度にしか思われなかった。
 親にも話したけど他愛のない子どもの愚痴くらいにしか受け取ってもらえなかった。
 殴られた跡でもあれば、親も先生も嫌でも気付くし、誰がどう見ても被害者と加害者の図式は明らかで、問題視せざるを得ない。
 でも、心の傷は外からは見えない。
 自己申告するしかない。
 そして、自己申告の傷は、傷と認めてもらえない。


 あの頃いじめが社会問題になっていて、TVでいじめの特番がいっぱい組まれてた。
 その番組の一つで、現役教師をスタジオに30人くらい呼んでいじめの実体を語らせるって企画があって、ある教師がこんなことを言ったの。

「いじめには段階がある。生徒や保護者はなんでもすぐに『いじめだ』と騒ぐけど、そんなものにいちいち対応していたらキリがない。多少のことは我慢させるのも教育だ」

 それを聞いた時、すごく腹が立った。
 「多少のこと」って何? 
 悪口程度じゃ「いじめ」と認めてくれないんだったら、死ねばいいの?
 死んだら「いじめ」だと認めてくれるの?

 こんなことも言ってた。

「いじめられる方にも原因がある」。

 じゃあ、いじめられた原因が分からなかったらどうしたらいいの?
 わたしだって原因が分かれば直すように努力したよ。
 でも、分からないんだもの、直しようがないじゃない。

 気になって、中学に入ってから美砂に聞いたことがあるの。
 美砂たちのグループになら何か言ってたかもしれないと思って。
 でも、「知らない」って。
 美砂が言うには、「ただ、なんとなく気に入らなかったから」じゃないかって。
 「なんとなく気に入らない」のが原因でいじめられてたわたしは、どうすればよかったって言うの?

 極めつけはこれ。

「いじめた側にはいじめた意識はない。自意識過剰な場合が多々ある」。

 そりゃ、多少は自意識過剰な部分もあるとは思うよ。
 でも、いじめられた側は、確実に傷つけられているの。
 「いじめているつもりはなかった」で言い逃れられるんだったら、この世にいじめなんて存在しない。「殺すつもりはなかった」傷害致死だって罪に問われるんだから、「傷つけているつもりがなかった」いじめっ子だって立派な加害者なんだよ。


 大人の目から見たら大したことないように見えても、傷ついてる子供は大勢いる。
 少なくとも、わたしはすごく辛かった。
 本当に、本当に、すっごく辛かった。
 情けなくて、悔しくて、どうしようもなく哀しかった。
 毎日、毎日、本当に毎日、指折り数えて卒業式を待ってた。
 あの頃わたしは、笑い声を聞くだけで身を縮ませてた。
 テレビの笑い声さえ、原田たちがわたしを笑っている声に聞こえて、バラエティ番組を見られなくなった。

 卒業さえしてしまえばこんな毎日からは解放される。
 中学になれば、クラス数も増えるし同じクラスになる確率は低くなるから、クラスさえ別れてしまえばこっちのものだって、ずっと自分に言い聞かせて、我慢して、それだけを望みに1年間を過ごしたんだよ。


 卒業式の日、わたしは嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
 仲良しグループのみんなが肩を寄せあって、6年間すごした小学校への名残惜しさと、離ればなれになる寂しさで涙を流している中で、わたしは嬉し涙が止まらなかったんだよ。
 わたしを1年間支えてくれた大好きな友達と別れる悲しさより、原田から解放される嬉しさが勝っていたの。
 そんな自分が浅ましくて、むなしくて、哀れで……、悔しかった。


 卒業して、ようやく地獄の日々からは脱出出来たけど、原田への恐怖心だけは消えることはなかった。
 中1、中2はクラスが違ったけど、廊下で偶然会った時とか、相変わらずすれ違いざまに「キモイ」とか言われたし。

 3年のクラス替えでまた同じクラスになったって知った時は、時間が止まったような気がした。また、あの日々が始まるのかって、真っ青になったよ。


 でも、わたしの予想に反して、原田はまったく何にも言ってこなかった。
 正直気味が悪いほど、無関心でびっくりした。
 でも、それはわたしのことが嫌いじゃなくなったって訳ではないんだよ。
 あいつは今でもわたしが嫌いなんだよ。
 だって、原田は絶対わたしを見ないし、近寄らない。

 なのに、時々感じるの。刺すような鋭い気配を。
 こっちが萎縮してしまうような無言のプレッシャー。
 理由は分からないけど、あいつは今でもわたしのことが嫌いなの。
 多分、これからも、ずっと……。