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 【1章 ジュリエットのため息】
 

 5−(1)



 放課後、わたしは部活をさぼった。

 わたしは、一部の後輩たちから「部活のために登校してそうな人」と言われるほど部活大好き人間だ。実際、この2年間一度も部活を休んだことがない。風邪を引いた時も、顧問の先生に「帰れ」と言われても帰らなかった。
 そんなわたしが、まさか「部活を休みたい」と思う日が来るなんて、一体誰が想像しただろう。

 コンクール前で悪いと思ったけど、今日のわたしには部活に出る元気は残っていなかった。
 わたしは、副部長と言うこともあって、部活ではクラスにいる時の3倍ハイテンションにしている。少しでも気落ちしていると後輩たちが心配するから暗い顔なんて出来ないのだ。
 いつもなら多少落ち込んでいても気力でなんとかするけど、今日は「頼れる月夜先輩」を演じられる自信がなかった。

 「具合が悪いから」と同じパートの後輩に告げると、案の定、彼女はひどく心配した顔で、「お大事に」と言ってくれた。
 良心がちくりと痛んだ。


 2年校舎にある音楽室を出て、3年校舎へ向かう途中、夏の風に乗せて、あちこちからいろんな音が聞こえてきた。
 吹奏楽部の練習する音はもちろん、体育館の方からはバスケ部やバレー部のボールが床を叩く音や、バッシュのこすれる音、かけ声、校庭の方からはサッカー部の笛の音や野球部のバットがボールを打つ金属音。

 いままであんまり気にしたことはなかったけど、いろんな音が「学校」という一つの空間で同時に響いているんだ。

 ふと、そんな当たり前のことに気付かされた。
 音に敏感であるはずの吹奏楽部にいながら、普段は耳慣れしすぎていて、案外、他の音にはひどく鈍感になっているのかもしれない。

「あははは」

 ふいに聞こえてきた男の子の笑い声に、わたしは思わず身を縮ませた。
 立ち止まったわたしの横を、1年生らしき男子2人組が通り過ぎていった。

 ……また笑い声に怯える日が来るなんて。

 わたしは自嘲気味にちょっと笑った。
 音楽室で誰かが吹いている軽快なマーチが、ひどく悲しい調べのように聞こえた。

 教室に入ると、金村さんが自分の席に座ってじっと黒板を凝視していた。

「金村さん?」

 声をかけると、金村さんはゆっくりとわたしに視線を移動させた。

「待ってた」

 怖いくらい落ち着いた声にどきりとした。

「田中さん、何か悩んでるでしょ」

 わたしは思わず「えっ」と声をあげた。

「そうとしか考えられないんだよね。田中さんがジュリエットを演じられない理由」

 わたしは額に汗がにじむのを感じた。


 金村さんは手招きして、わたしに座るよう促した。
 わたしは自分の椅子を反対に向けて、まるで面接でもするかのように座った。

「続木さんは、やる気がないって怒ってたけど、田中さんはすごく責任感のある人だから、いいかげんな気持ちで練習に参加している訳ではないと思うんだよね。
じゃあ、演技が苦手なのかとも考えたけど、田中さん、小学校の時も学級劇で主役やったんだって?すごく上手だったって聞いたよ。
そんな田中さんが、なんであんなに台詞でつまるのか――。
確かに、『ロミオとジュリエット』はラブストーリーだから恥ずかしい台詞が多いけど、ただ単に照れているだけとも思えない。だって、ロミオに一目惚れした時の独白とか、バルコニーでの独白シーンは問題なく言えているだもの。
それで気付いたんだ。田中さんがつまる台詞の規則性に」

 金村さんの綺麗な目がわたしの目をとらえる。

「ロミオと話すシーン、だよね。田中さんが言葉につまるの」

 わたしは金村さんをじっと見つめ返した。
 うなずかなくても、金村さんは確信しているみたいだ。

「田中さん、原田くんと何があったの?何か、原田くんに引け目みたいなものを感じてるんじゃない?これはわたしの勝手な憶測だけど、田中さんは、原田くんに怯えているような気がする」

 ああ、やっぱり。金村さんにはお見通しだったんだ。
 なんで分かるんだろう。美砂でさえちゃんと理解してくれない気持ちを、なんで何も言わなくても分かってくれるんだろう。
 目頭が、熱い。

「ごめん、わたし何か気に障ることを言った?」

 うつむくわたしに、金村さんが慌てた声を出す。
 わたしは首を振った。

「違うの、ごめん。図星」

 ごめんと言い続けるわたしを、金村さんはやさしく見守ってくれた。
 二人きりの教室。
 窓の外からは、様々な音。
 わたしは中学に入って以来誰にも語ったことがない、小6の時のことを金村さんに語り始めた。