金村さんの指示通り、みんなちゃんと練習してきたことは次の月曜のHRでの練習ですぐに分かった。
前回つまってばっかりだった人も、漢字が読めなかった津村も、見違えるような出来だった。
金村さんなんか、もう完璧に自分の台詞を暗記してきていた。
そうなると、主役二人の出来の悪さが際立った。
原田は相変わらず棒読み。
わたしは声がふるえっぱなし。
乳母や侍女との絡みのシーンは問題なく読めるのだけど、ロミオとのシーンが近づいてくると途端にしどろもどろになってしまう。
特に、前回まわらなかったバルコニーのシーンは最悪だった。
間が悪いとか、台詞回しがどうとかそう言う問題ではない。
がちがちに固まってしまって、ろくに声が出ないのだ。
みんなはわたしが恥ずかしがっているのだと勘違いしているみたいで、「そのうち照れなくなるよ」と励ましてくれた。
「ちがう」と言いたくても言えなくて、みんなに申し訳ない反面、もどかしくも思った。
*
はあー……。
久々にため息がこぼれる。
ダメだな、数日おさまっていたと思ったけど、やっぱり無意識に出てしまう。
掃除時間の音楽が軽快に鳴り響いている中、わたしの気分はとてつもなく重かった。
ぼんやりとほうきで床を掃いていると、ぞうきんを手にした尚子がそっと近寄ってきた。
「月夜ちゃん、元気ないけど、大丈夫?今日の練習のことだったら気にしなくても……」
「あ、ううん。ちがう。ちょっと夏バテ。わたし、生粋の道産子だから、暑いのダメなの」
わたしが笑ってごまかすと、尚子はほっとした顔をした。
実際、今日は珍しく暑かった。
「ほんと、今日はあっついよねえ。まだ7月なのに!北国の名前が泣くよ〜」
わたしは「あはは」と笑ってうなずいた。
「月夜ちゃんは吹奏楽部の練習もあるもんね。コンクール近いんでしょ?大変だね」
「大変なのはうちの部だけじゃないよ。尚子だってテニス部は外で練習でしょ。
うちの部は音楽室で合奏だもん。運動部と比べたら全然まし」
「まあね。でも、うちの部は8月の大会終わったら引退だけど、月夜ちゃんとこは学祭終わるまでなんでしょ。なんかごめんね、そんな大変な人にジュリエット押し付けて」
「いやあ……しょうがないよ、くじだし」
わたしが苦笑いをすると、尚子は何度もうなずきながらわたしの肩を叩いた。
その時だった。
「ちょっと、聞いて聞いて、最悪なんだけど、マジありえない!」
突然ドアが勢いよく開いて、続木さんが駆け込んできた。
ジュリエットの侍女をやることになっている子だ。
みんな手を止めて、続木さんに視線が集中した。
続木さんは息を切らして顔を真っ赤にしてきんきんと高い声で「ありえない、ありえない」と連呼している。
「つづ、落ち着いて。何言ってるんだか分かんないよ」
尚子が駆け寄って問いかけた。
「ナオ!大変なんだって!2組にやられた。2組もやるんだよ、『ロミオとジュリエット』!」
衝撃の発言に、「えー」とか「うそー」という声で、今度はクラスが大騒ぎになった。
そして、きっと誰よりも驚いたのは、このわたしだ。
ただでさえ演技が上手くいかなくて憂鬱だと言うのに、いったい誰の嫌がらせでこんなことばかり!神様がいるのなら、本気で呪いたくなってきた。
「嘘じゃないって。トイレで2組の子が話してるの聞いたんだもん」
続木さんはきっぱりとした声で宣言した。
「何それ!主役は誰がやるの」
尚子が続木さんに詰め寄る。
「それが誰だと思う?神と笹木さんだよ」
笹木澪。
その名前に思わずくらっとめまいがした。
2組で、いや、学年で一番の美人。
派手な顔立ちにグラマラスな身体。
身長は160後半。
おまけに劇団に所属していて将来の夢は舞台女優だともっぱらの噂だ。
清楚可憐なジュリエットのイメージにはほど遠いけれど、妖艶な魅力溢れる面白いジュリエットになるかもしれない。
「えー、たしかに笹木さんは美人だけど、神がロミオってのはちょっと可愛すぎない?」
誰かのつっこみに続木さんはぶんぶんと激しく頭を振った。
「違う違う。逆だよ。ロミオが笹木さんで、ジュリエットが神!」
さっきよりもさらに大きなどよめきが起こり、わたしは本格的にめまいを感じて倒れそうになった。
一週間前の神くんの自信満々の笑顔が目の前によみがる。
女の子より可愛い神くんのジュリエットに、ゴージャス美人な澪さんのロミオ。
一方、うちのクラスは、格好いいけど特に意外性もない無難なロミオに、とりわけ可愛い訳でも美人という訳でもない地味なジュリエット。
……やられた!わたしが審査員でも、2組の方が楽しみだ。
「月夜ちゃん!」
続木さんがわたしの肩を勢いよく掴んだ。
「マジで頑張るよ。絶対、2組だけには負けられない」
続木さん、目が本気だ。
わたしは勢いでうなずいてしまった。
「よーし、早速明日から朝練しよう。みんないいよね」
続木さんがそう叫ぶと、教室が「おお」と言う声で揺れた。
なんだかますます引き返せない雰囲気になってしまった。