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 【1章 ジュリエットのため息】
 

 3−(2)



 うちの学校は毎週月曜日と金曜日の6時間目に30分間のLHRが設けられている。
 行事のない時期、月曜は道徳、金曜は小テストにあてられているけれど、春の合唱コンクールや秋の学校祭の準備期間は、その練習に活用される。
 今日は金曜日。演目決めをした月曜日が遠い昔のように感じられる。

 わたしたちは、キャスト&演出班、大道具&照明班、小道具&衣装&音響班に分かれてそれぞれリーダー決めをすることになった。
 わたしと美砂はもちろんキャスト班。
 キャストリーダーはキャピュレット役の津村に決まった。
 ……と言うか押し付けた。

 ロミオかジュリエットがやった方がいいんじゃないかと言う声もあったけど、わたしは吹奏楽部の副部長もやっているから、とてもじゃないけど手が回りそうもないし、原田はリーダーとか面倒なことはやりたがらない。
 「お前やれよ」とご指名を受けた津村は、なぜか原田には小学校時代から頭が上がらないようで、しぶしぶOKしたのだ。
 津村は、自分の意見をはっきり言わず、周りの雰囲気に流されっぱなしで、誰に対しても「それでいいと思うよ」としか言えないタイプだから、彼がリーダーと言うのは、正直不安だったけど、だからと言ってわたしが代わってあげられる訳ではないので黙っていた。


「あー、もうあと15分しかないよ。どうするのリーダー」

 さっそく美砂が「リーダー」と呼ぶと、みんなが笑った。
「えー、どうしよ」
 やっぱり優柔不断だ。大丈夫だろうか。
「とりあえず、いけるところまで読み合わせしてみようよ」
 金村さんがそう言うと、みんなうなずいて台本を取りに一旦自分の席へ散らばっていった。

 キャスト班は窓際後ろ側に集まって話し合いをしていたから、廊下側のわたしの席が一番遠かった。
 台本を持って戻って来ると、もうみんなスタンバイしていて、わたしはもといた美砂の横に滑り込もうとした。
 すると、乳母役の上杉尚子がわたしの腕をとって、原田の横へ引っ張っていった。

「月夜ちゃんはここ。ロミオとジュリエットは隣じゃなくちゃね」
 意味ありげにウインクを投げて、自分もわたしの横に立つ。

 余計なことを!

 叫び出しそうなのを必死で堪えた。原田と並んだ左側だけが妙に熱い気がする。
 尚子は中3で初めて同じクラスになった。
 もちろん、わたしと原田の気まずい関係のことは知らない。

「はい、じゃ、一番初めから行くよ」
 結局、頼りない津村のかわりに、金村さんがリーダーシップをとって、第1回目の読み合わせが始まった。


「昔々、ある国に、モンタギューとキャピュレットという貴族がおりました。」

 ナレーターの金村さんは、さすが自分で書いた文章だけあって、少しもつっかかるところなく、聞き取りやすいはきはきした声で語りはじめた。

 やばいな、みんなこんなに上手なんだろうか。
 少し不安になったけど、他の人は今日役が決まったばかりということもあって、つまるは読み間違えるは、ひどい人なんて「この漢字なんて読むの?」なんて聞いたりしている。

 でも、わたしもみんなに負けないくらいぼろぼろだった。
 わたしは4日前には役に決まっていたし、家で練習もした。
 読めない漢字なんてもちろんない。
 にもかかわらずこんな醜態をさらしてしまったのは、ひとえに隣にいるヤツの存在のせいだった。

 まだ読み合わせの段階だから、見つめ合ったり手を握ったりする訳ではないのに、ただ隣にいると言うだけで、意識してしまって声は上ずって震えるし、どこを読んでいるか分からなくなるし、めちゃくちゃだ。自分がこんなに弱いとは思わなかった。
 みんな、自分のことにいっぱいいっぱいで、わたしの動揺に気付いていないのがせめてもの救いだった。

「ロミオさま」

 場面は前半の見せ場、ロミオとジュリエットがバルコニーで愛を告白し合うシーンにさしかかっていた。『2人は身を寄せ合う』という問題のシーンだ。

「ああ、愛しいジュリエット」

 ちっとも『愛しい』なんて思っていない、抑揚のない声。
 ただ単に演技が下手なのか、気持ちがこもらないからかは分からないけど、原田は始終棒読みだ。
 この後、長々と2人の愛の告白が続く。
 左側がよけいにこわばる。

 キーンコーンカーンコーン

 ナイスタイミングと言ったらいいのか、わたしが愛の台詞を吐く前に、授業終了のチャイムが鳴った。他の班の子たちが、ばらばらと自分の席に戻っていく。

「あーあ、いいところだったのに」
 
 右隣の尚子が同意を求めるようにわたしに顔を向けた。
 わたしは苦笑いを返した。

「じゃあ、とりあえず今日はここまでにしとこうか。土日のあいだにみんな家で練習してきて、せめて読めない字はないようにしましょう」

 金村さんがそう言うと、男子が津村をこづいて「お前のことだぞ」とからかった。
 津村は、たった数行の台詞の中で5回も漢字の読み方を聞いていたのだ。