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 【1章 ジュリエットのため息】
 

 3−(1)



 金村さんは3日で台本を仕上げてきた。
 信じられない早さだ。
 先輩たちの話だと、夏休み前に演目、キャストを決めて、8月の登校日に台本配り、本格的練習は新学期から、と言うのが普通らしい。

 実際、皆子に聞いたら、3組はいまだに演目どころか実行委員すら決まらず、担任も呆れかえっているとか。
 4組は演目は決まったけど、キャスト決めが難航しているらしい。
 2組は、神くんが言うには「ヤバイくらい順調」らしいけど、さすがに台本はまだ出来てないみたいだ。

 それなのに、金村さんは終業式の1週間前に台本を完成させてしまった。
 まったくもって、驚くべきことだ。

 しかも、出来上がった台本は一読したところかなりいい出来と言えそうなのだ。
 『ロミオとジュリエット』は、原作は読んだことはないけれど、たしか数時間にわたる大長編だったはず。昔観た映画も2時間近くあった。
 それを30分で上演しなければいけないのだけど、金村さんの台本はなかなか上手くまとまっていた。

 金村さんの頑張りが、普段あまり行事には乗り気でないクラスメートたちに火を付けたのか、脇役のキャストは今朝のSHRの時間で、ほとんどもめることなく決まった。
 この雰囲気が4日前にあったら、もしかして誰かがジュリエットに立候補していたかもしれないと思うと、なんだかすごく損をした気分だ。
 

「やっぱ金村さんってすごいよね」

 美砂は右手に台本を、左手に箸を持って感慨深げにつぶやいた。
 美砂は右利きだけど、「左手を使うと脳にいい」と言う情報をどこからか仕入れてきて、1週間前から左手でお弁当を食べている。面白そうだからわたしも試してみたけど、どうにも使い勝手が悪いから1日でギブアップしてしまった。
 美砂は、ぼろぼろとご飯をこぼしながら、苛立たしげに箸を動かし、何とか口に運ぼうと悪戦苦闘している。そんなに食べにくいならやめればいいのに、変なところで強情だ。

「美砂、食べてる時くらい、台本から目を放しなよ」
「だってまだ全然台詞覚えてないもん。つくよんは余裕だね。あたしより台詞多いのに」

 美砂はジュリエットの従兄ティボルト役に立候補していた。
 乳母とか侍女とか女役は他にいくらでもあったのに、あえて男役を選ぶところが美砂らしい。

「わたしもまだほとんど覚えてないけどさあ……。そんなに焦らなくても大丈夫でしょ。
 まだあと2ヶ月あるんだから」

 そんなわたしのつぶやきに、美砂はすさまじい勢いで顔をあげ、信じられないものでも見たかのようにわたしを凝視した。

「甘い。ダメだよ、つくよん、甘すぎ!」

 美砂はものすごい勢いで凄んできた。

「劇ってのは、台詞を覚えるのは第一段階。問題はその後の雰囲気作りなんだから。第一段階でつまずいてたら、とてもじゃないけどいい劇なんか作れないんだからね!」

 言ってることはもっともだけど、口にものを入れながらしゃべるから、ご飯粒が飛んで汚い。台本におかずを落としてるし。
「お分かり?」
 怖い顔で睨んでくる美砂に、わたしは「はいはい」と適当に返事をした。
 美砂は満足そうな顔をして、再び台本に視線を落とした。


「でもさ、『ロミオとジュリエット』ってこんな話だったんだね。あたし知らなかったよ」

 わたしはぎょっとして、思わず食べる手をとめて美砂を凝視した。
 今、この子、しみじみとした口調でとんでもないことを言い出したぞ。

「美砂、たしかロミジュリに投票してたよね。内容知らないのに入れたの?」
「うん。つづちゃんとまっきーに頼まれたから。それに戦争物は小学校でもやったし、ラブストーリーの方が面白そうかなーって」

 呆れた。
 いやいや、うちのクラスのことだ。もしかして美砂以外にも、同じように内容を知らずに投票した子はいるかもしれない。
 『ロミオとジュリエット』と言えば、シェイクスピアの作品の中では割と有名な方だとは思うけど、案外その内容の認知度は低いのだろうか?
 簡単に言えばこんな話だ。

 ロミオの生家モンタギュー家とジュリエットの生家キャピュレット家は長年の敵同士。
 ある日、キャピュレット家の舞踏会に紛れ込んだロミオは、ジュリエットと恋に落ちる。 
 別れ際にお互いが敵同士だと知りショックを受けながらも相手への想いを断ち切れず、その夜、再びキャピュレット家に忍びこんだロミオは、バルコニーでジュリエットと再会し、愛を確かめ合う。そして後日、2人はこっそり教会で結婚式を挙げる。
 その帰りに、ロミオはジュリエットの従兄ティボルトに絡まれる。
 ロミオのかわりに喧嘩を買ったロミオの親友マキューシオがティボルトに殺され、ロミオは親友の敵討ちとしてティボルトを殺してしまう。
 ロミオは街を追われることになり、ジュリエットは別の人と結婚させられそうになる。
 ロミオを愛するジュリエットは毒薬を飲んで死んでしまう。両親は悲しんで葬式をするが、ジュリエットが飲んだのは実は仮死状態にする薬で、ロミオと落ち合って2人で逃げる計画だった。
 しかし、その計画を伝える手紙が運命の悪戯によってロミオの手に渡らなかった。
 ジュリエットの死を悲しんだロミオは、彼女の墓の中で本物の毒薬を飲み息絶える。
 仮死状態から目を覚ましたジュリエットは、冷たくなったロミオを見て、計画が失敗したことを知り、ロミオの後を追って、彼の短剣で胸を刺し死んでしまう。


 今となっては目新しくもない話だけど、大昔にこれを書いたシェイクスピアは、たいした作家だなあとは思う。
 でも、さんざん使い古されたこの話を面白く見せるには、役者の演技力に頼る部分がかなり大きい。やりがいはあるけどプレッシャーも大きい。

 そんなことを考えながらしばらく箸を止めていると、なにやら視線を感じた。顔を上げると美砂がじっと見つめていた。
「何?」
 美砂は顔を近づけ、周りを気にしながら低い声で言った。

「つくよん、今日あたりから本読みはじまるけど、大丈夫?結構あるよ、ラブシーン」
「ごほっ!」
 わたしは思わずおかずを喉につまらせて咳き込んだ。

「ちょ、つくよん、汚いなあ」

 美砂にだけは言われたくない!

 そう反論したくとも、気管に入ったおかずはなかなか出て行ってくれず、ひとしきり苦しむはめになった。
 美砂に差し出されたお茶を喉に流し込んでようやく落ち着くことが出来た。

「ラブシーンっていうほどじゃないでしょ。一応学級劇だし」
 わたしの言葉に、美砂は小憎らしく「ふっ」と鼻で笑った。
「普通の人にとってはそうじゃなくても、つくよんにとっては立派なラブシーンでしょ。だって、『二人は見つめ合う』とか『二人は手をつなぐ』とか、ここなんて『二人は身を寄せ合う』だよ。
いやいや、無理だと思うな、今のつくよんたちじゃ」

 美砂の指摘に思わずたじろいだ。
 痛いところを突かれてしまった。
 美砂が指さしているのはバルコニーで愛を告白し合うシーン。
 初めて台本を読んだ時、真っ青になった部分だ。なるべく考えないようにしてたのに。

「でさ、提案があるんだけど」
 美砂がにやりと笑う。美砂がこう言う顔をする時はろくなことがない。

「練習始まる前に、原田と仲直りしなよ」

 思いがけない美砂の言葉に、わたしは唖然とした。
 美砂は小6の時も同じクラスだったし、わたしが原田を嫌っていることは知っている。
 でも、根本的なことは分かっていない。
 事態は美砂が考えているほど簡単ではないのだ。
 わたしたちは「仲直り」なんて出来ない。
 だって、直す仲がそもそもないんだもの。

「仲直りって……別にわたしたちケンカしてる訳じゃないし。うちらは対等な関係じゃないもん」
「んじゃ、仲良くなりなよ」
「それが出来れば苦労しない」
「じゃ、1回話してみるだけでもいいから」
「無理」

 即答して、お弁当の最後の一口に箸をのばすと、美砂が横からお弁当箱を取り上げてしまった。わたしが抗議の声を上げると、美砂は鋭い瞳で睨みつけた。

「じゃあ、つくよんはこのままでいいの?こんな気まずいままで恋人役なんて出来る?
つくよんは怖がってるだけだよ。また、小学校の時みたいになるのが怖いんでしょ」

 美砂に言われて、小6の時のことが一気によみがえった。


 原田の冷たい視線。
 男子の輪の中心で、わたしを笑う原田。
 わたしに近寄らなくなってしまった男友達。
 バカにして笑う、あの嫌な声が頭をこだまする。

『見るなよ』

 見てない。

『キモイ』

 やめて。

『なんであいつ学校来てんだよ。もう一生来なくていいのに』

 笑わないで。


 心に刺さった、言葉の刺がちくちくと痛み出す。


「大丈夫だよ、つくよん」

 わたしははっとした。よっぽどひどい顔をしていたのだろう。美砂はいつになく優しい顔でわたしを見つめていた。
「原田だって、もうあの頃ほど子どもじゃないんだから。ね、話してみなよ」
 そうかもしれない。でも……。

『見るなよ』

『キモイ』

『一生学校来るな』

 耳によみがえる、声変わり前のボーイソプラノのあいつの声。
 体がこわばる。

「ごめん、今は無理。もうちょっと待って。努力してみるから」

 力無くこぼれたつぶやきに、美砂は小さく溜息をつくと何も言わずにお弁当を返してくれた。