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 【1章 ジュリエットのため息】


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 結局、朝のSHRが始まる前に台本を読み終えてしまった。
 わたしは担任の話を上の空で聞き流しながら、さっき読んだ台本を頭の中で反芻していた。

 舞踏会で出会うロミオとジュリエット。
 見せ場のバルコニーの場面、ジュリエットへの思いを断ち切れないロミオが、キャピュレット家に忍び込む。ジュリエットはロミオが敵の息子であることを嘆き、あの有名な言葉をつぶやいている。

『ああロミオ、どうしてあなたはロミオなの』


 ……どうしてロミオなの、か。

 わたしはそっと後ろを振り返った。
 いつの間にか、担任は姿を消し、教室はがやがやと騒がしい。

 窓際後ろから2番目。
 原田陽介。
 天然パーマの茶色い髪。
 目は切れ長でするどい光を放っている。
 背はクラスで2番目に大きい。学校の机では小さすぎて、足が机に収まりきらず、いつも前の席に座っている津村甲斐の椅子を蹴っ飛ばしている。
 サッカー部で運動神経は抜群。
 成績だって、飛び抜けてよくはないけど、決して悪い方ではない。

 あ、笑った。
 椅子を蹴っ飛ばされて怒っている津村を見て笑っているようだ。
 原田は口の端を右側だけ上げて笑う癖がある。
 なんだかすごくバカにしているみたいで、わたしはその顔が好きじゃない。

『ああロミオ、どうしてあなたはロミオなの』

 ジュリエットの台詞がよみがえる。
 原田がわたしの視線に気付く前に、わたしは顔を前に向き直すと、台本をしまって次の授業の教科書を取り出した。

 どうしてロミオなの。
 まったくだ。どうして原田がロミオなんだ。
 ロミオが原田じゃなければ、わたしはこんなに悩んだりしない。
 はっきり言おう。わたしは原田が嫌いだ。
 でも、それ以上に、原田はわたしが嫌いなのだ。
 わたしの思い込みじゃない。紛れもない事実。
 空が青くて雲が白いのと同じくらい明らかなことだ。
 そのことを知っている人は、おそらく今のクラスにはいない。


 わたしたちが互いを嫌いになったのは、小6の時。
 当時のクラスメートも今のクラスには美砂をはじめ何人かいるけれど、いまだにわたしたちがひどく嫌い合っているとは思っていないだろう。
 わたしも原田も極力接触を避けて、お互い無視を決め込んでいるから。

 わたしたちは、3年になって、2年ぶりに同じクラスになった。
 同じ教室で過ごしたこの3ヶ月間、わたしたちは一言も言葉を交わしたことがないどころか、目を合わせたことも、半径2メートル以内に近寄ったことさえない。
 それでもたまに、同じ教室で同じ空気を吸っていると言うだけで、無言の圧力を感じることがある。

 俺に関わるな。
 余計なことはするな。

 そんなオーラが対角線上のもっとも遠い席から漂ってきているような気がするのだ。

 一家の敵。愛してはいけない人を愛してしまったロミオとジュリエット。
 それを、互いに嫌い合ってるわたしたちが演じるなんて滑稽だ。
 笑えない冗談。
 むしろ喜劇かもしれない。
 でも、わたしたちがやらなければならないのは「悲劇」なのだ。

 わたしだって、やるからには優賞をねらいたい。
 自分で言うのはなんだけど、演技だって上手い方だと思ってる。
 ジュリエットにはやりがいを感じる。

 でも、怖い。
 これから自分が立たされる状況を想像するだけで、指先からつま先まで、一気に血の気が引いていくような、まるで高所恐怖症の人間がビルの屋上に立たされて「下を見ろ」と強制されているかのような、そんなひどい恐怖感にかられる。

 話しかけるどころか、近寄ることさえ出来ない相手と、どうやって恋人を演じろと言うのだ。