19:嘘じゃない真実(2)



「あの……じゃあ、永さんたちに永遠子ちゃんはどこから来たのかって聞かれたとき、神様がくれたプレゼントだって答えたのは……?」
「……え、やだ!あれってそう言う意味だったのね……わたしったらてっきり……」

母は顔を少し赤らめると両手を頬にあてて恥ずかしそうに視線をそらせた。

「違うのよ……あれは、ほらよく子供が親を困らせる質問であるでしょ?“赤ちゃんはどこから来るの?”ってヤツ。わたし、てっきりその質問が来ちゃったのかと思って……」
「え、じゃあ、お父さんが永遠子ちゃんが20歳になるまで知る必要がないことだって言ったのも……」
「それも同じ質問の答えよね?だとしたら主人も同じ解釈をしたんだと思うわ。
……まぁ、20歳まで性教育をしないのもどうかと思うけど……。わたしは知らなかったせいでさんざんな目にあったし……。何も知らない未成年にあんなこと、一歩間違えれば犯罪だと思うのよね……」

さらっと問題発言をしているのだけれど、それどころではない稔は気づきもせずに兄たちとした会話を思い出そうとしていた。

「じゃあ、永遠子ちゃんが3歳まで言葉をしゃべらなかったっていうのは……」
「あらやだ。ちゃんと話してたわよ、主人と一緒にうちに帰ってきたときには」
「え、でも、お兄さんたちは……」
「あぁ……あれは」

母は昔を思い出して呆れた顔で息を漏らした。

「あれはあの子たちが悪いのよ。あの子たち、見かけも性格も父親そっくりだけど、おしゃべりなところだけはわたしに似ちゃったみたいで、今もそうだけど昔から本当にかしましかったのよ。
あの子たち一目見ただけで永遠子ちゃんのことを気に入っちゃって……あの構いっぷりを見た瞬間、『あぁ、間違いなくあの人の血を引く子だなぁ……』と感慨深く思ったものだわ。
永遠子ちゃんは永遠子ちゃんで、ただでさえ人見知りが激しいのに環境が変化してすっかりおびえちゃってたのよね。そこへもってきてあのうるささでしょ?函館の家は静かだったみたいだから、突然身近にあんな騒音機が二台も登場したら無口にもなるわ。
あの子たちがいないところでは一応しゃべってたわよ。口数は絶対的に少なかったけど」

なんとなく、永遠子が兄たちに対して微妙に冷めている要因が分かったような気がした。

「じゃあ、養子うんぬんというのは、もう本当に完全にお兄さんたちの勘違い……というか思い込みなんですね」
「そうよ。だから安心してちょうだいね」

稔は、兄たちから秘密を打ち明けられたときから張っていた気が一気に解けるのを感じた。

「よかった……」

稔のつぶやきに、母は何度も同意するようにうなずいた。

「本当に。あの子たちが双子でよかったと今日ほど思ったことはないわ」

「え?」
「うん?」

かみ合わない会話に、二人は顔を見合わせた。

「え、どういうことですか?」
「だって、あの子たちあの人の子供だもの。血の繋がらない妹と一つ屋根の下に住んでいたら、間違いなくとっくの昔に手を出してるわよ?」

親子だ!間違いなく親子だ!
この前振りもなく突然爆弾を投下する会話術は、間違いなく永遠子の母親だ!

「ちょっと待って下さい!え、永遠子ちゃんは……」

真っ青になっている稔の顔を見て、母は不思議そうに顔をかしげる。

「ん?大丈夫よ。言ったでしょ、“双子でよかった”って。あの子たち、お互い牽制しあって、というか邪魔しあってたから、手を出すどころかまともに会話をしたこともないもの。ただ、もし双子じゃなかったら邪魔者もいないことだし、どんな手段を使ってでも手に入れたでしょうね、って話。
罠、策略は主人の特技だったのよ。すごいのよ、罠があることを獲物にさとられずに的確に誘い込んで捕獲して、生きたまま餌を与えつつじんわりと拘束を強めて、気づいたときにはがんじがらめに絡め取られていて逃げるどころか身動き一つできなくなってるの。……まぁ、それにまんまとひっかかっちゃったのがわたしなんだけど」

うふふ、と笑えないことを笑顔で語るこの女性。ある意味、兄たちより強者である。
というか、そんなくせ者が相手となると、血が繋がっていることだけでは安心しきれないのでは。

「……永さん久さんって、そんなにお父さんに似ているんですか?」

稔の質問に、母はぱぁと顔を輝かせる。

「えぇ!そっくりなの!まるであの人をわたしが育て直しているみたいで楽しかったわぁ。わたしがあの人に出会ったのは高校生のころだから、中学までのあの人は知らないじゃない?でも、永くん久くんを育ててると、あぁ、あの人が幼稚園のころはこんなだったのかしら〜、小学生のころはこうだったのかしら〜って、もう楽しくて楽しくて!
高校に入ったら入ったで、あぁ、出会ったころのあの人だわ!って懐かしいし」
「あ、いえ、見かけがそっくりなのはさっき写真見て俺も思いました。そうじゃなくて、性格は……」
「あぁ、性格?そうね、基本的には間違いなく親子だなって思う程度によく似ていると思うわ」
「……そうですか」
「えぇ、でも、多少はわたしの血も混じってるから、ちょっとだけ血が薄まったのか、主人に比べれば可愛いものだと思うわよ。永遠子ちゃんへの執着も」

「あれよりすごいんですか、永遠子ちゃんのお父さんって!!?」

思わず上げた声に、母は「ふふ」と楽しそうに笑った。

「主人に比べれば永くん久くんは赤ちゃんみたいなものよ。主人の溺愛っぷりを知ってたからこそ、永くん久くんの勘違いに気づかなかったんだもの。男の人って身内の女性が可愛くて仕方がないだけなんだと思ってたの」

――あれで可愛いものって、俺、父親にバレたらマジしゃれじゃなく殺されるんじゃ?

兄と血が繋がりがないことでライバルが減ったと安心できる立場ではないのだと、稔はこのとき確信した。

がくんと肩を下ろす稔に、母は何を思ったのか慈愛に満ちた表情で微笑むと優しく肩をぽんと叩いた。

「稔くん、永遠子ちゃんと結婚したい?」
「え?」

佐倉家の人間はとにかく「おつきあい=結婚」という方程式が成り立っているらしい。
にこにこと微笑む母に、覚悟を決めた稔は真剣なまなざしでうなずいた。
それを見た母は、とろけるような笑みを浮かべるとそっと体をよせて小声で囁いた。

「いいこと教えてあげる。一つだけあるのよ、確実に永遠子ちゃんと結婚できる方法」
「え!!?」
「ふふ、あのね――――」



昼過ぎに来たはずが、気づけば窓の外には綺麗な夕焼けが見え始めていた。
様子を見てくると言って出て行った母はかれこれ30分立っても戻ってこない。
というより、家の中が静かすぎるのがものすごく気になる。

「あの〜……」

顔を上げるとドアから永遠子の小さな顔がのぞいていた。
ほんの数時間前に顔をあわせたはずなのに、ものすごく久しぶりに会ったような錯覚に陥った。

「永遠子ちゃん……」

顔は自然にほころぶ。
永遠子の顔は――相変わらず無表情だったけれど、少しだけ目が赤いような気がする。

「どうしたの?」

心配になって声をかけたけれど、永遠子は顔をのぞかせた窮屈そうな格好のまま身じろぎ一つしない。
稔は立ち上がってドアを開けて永遠子を見おろした。
永遠子はうつむいて両手に持ったお盆に視線を落とした。

「あ、お菓子できたの?」
「……これを“出来た”と呼ぶのなら」

とりあえず、「あぁ、失敗したんだな」ってことは鈍くもKYでもない稔は瞬時に悟った。

「……まあ、とりあえず入ろう?こんなとこに立ってても仕方ないし、ね?」

稔にうながされ、永遠子は重い足取りで自室に歩を進めた。
そしてお盆をローテーブルに置くとそのまま正座で固まってしまった。
お盆をのぞきこんだ稔はしばしその物体を凝視すると、ふわっと笑いかけた。

「お煎餅とコーヒーゼリー?」
「シフォンケーキとプリンです」

一瞬冷たい風が流れた。

「……あの、一応、見せるだけでも見せた方がいいと母に言われたので持ってきただけで、明らかに失敗作ですし、多分……いえ絶対美味しくないと思うので……食べなくていいです」

消え入りそうな声で切々と訴える永遠子に、言いようのない愛しさを感じた稔は、作り物じゃない本当の笑顔を浮かべるとお盆を自分の方へ引き寄せた。
永遠子は驚いて目を大きく見開いて口を小さく開けた。

「いただきます」

笑顔でお菓子とは言えない物体を口に運ぶ稔に、永遠子は思わず小さく顔を歪ませた。

「六原さん……いいです本当に。美味しくないです」
「味はね」

稔の目はどこまでも優しくおだやかに微笑んでいた。

「でも、一生懸命作った永遠子ちゃんの気持ちがすっごく美味しいから、いい。食べるよ。俺のために作ってくれたんだもん。食べなきゃもったいない」

そして稔はお菓子という名の物体に視線を戻し、ひたすら口に運び続けた。
だからそのとき、永遠子の口元が端からもはっきり分かるほど微笑んでいたことに、稔は気づかなかったのだった。

「それじゃ、お邪魔しました」

夕日もすっかり沈んで月が照り輝きはじめたころ、稔は佐倉家の前に立って大きくおじぎをしていた。

「いえいえ、どうぞまたいらしてね。お邪魔虫さんたちがいない隙を狙って」
「……ありがとうございました」

そう言って手を振る母娘のシルエットは暗闇の中で見るとよく似ていることに気づいて、稔は思わず口元がほころんだ。

もう一度大きくおじぎをして去っていく稔の後ろ姿を母娘はその姿が見えなくなるまで見送っていた。

「いい子ね」

ぼそっとつぶやいた母の言葉に、永遠子は控えめに、でもしっかりとうなずいた。

「まっすぐで、いい子だわ」
「はい」
「多分、永遠子ちゃんが思ってる以上に、すごくいい子よ」

あのとき、母は稔に告げたのだ。父をやりこめる究極の方法を。

――子供を作っちゃえばいいのよ。娘をあれだけ溺愛するんだもの。孫だったらなおさらよ。子供ができたとなれば、まぁ激怒はするだろうけど間違いなく「責任をとれ」ってことになると思うわよ。

本音半分、冗談半分のその言葉を、彼は真摯に受けとめ、首を横に振ったのだ。

――そういう、だまし討ちみたいな方法はできればとりたくありません。ちゃんと、俺という人間を認めてもらってその上でお許しをもらいたいです。だから……何年かかってもお許しがもらえるまで頭を下げ続けます。そうじゃなきゃ、お兄さんたちも納得できないと思うし、永遠子ちゃんに示せる唯一の誠意でもあると思うんで。

その言葉を聞いたとき、この子が相手なら永遠子は絶対幸せになれる、そう確信した。
そのために、自分は絶対彼等の味方になろう。たとえ夫の意に逆らうことになっても。
そう心に誓ったのだった。

「とりあえず、永くんと久くんの誤解をとかないとね……」

独り言のようにつぶやいた母の言葉に、永遠子はちょこんと首をかしげた。

「誤解?」
「ううん。こっちの話。しばらく永くん久くんがうっとうしく泣き叫ぶかもしれないけど、永遠子ちゃんはいつもどおり気にせず放っておいてくれていいからね」

嘘じゃない真実を聞かされて、事実、兄2人は七日七晩嘆き悲しむことになるのだけれど、詳しくは語らないことにする。