20:復活と受難 (1)


佐倉家訪問から1週間、気味が悪いほど穏やかな日々が続いた。
初めはいつ邪魔が入るかと恐々としていた稔も、永遠子から兄2人は部屋に引きこもっていると聞いてからは徐々に大胆になり、デート場所は図書館から街へ、人前で手を繋いだり肩を抱いたりするようになっていた。

8日目の今日、稔はついにプールデートにこぎつけていた。
稔は待ち合わせ場所へ向かうべく、札幌駅地下街を歩いていた。
いくら爽やかぶっていても、内実はただの年頃の16歳。
彼女の水着姿を想像して思わずにやけそうになるのを必死でこらえながらも、知らず知らずに足取りは速くなる。
小学校以来プールに行ったことはないと言っていたから、多分ものすごく緊張していることだろう。
今日こそ、ちょっとくらい彼女の表情を崩せないものだろうか。
稔はついに、はやる気持ちをおさせられなくなり、軽く駆け足でエスカレーターを駆け上る。

しかし、視界に入ってきた待ち合わせ場所のオブジェの前には永遠子の姿はなかった。

待ち合わせ時刻10分前。
永遠子は初デート以来、常に間に合わせ時間より最低15分は早く来る。
稔は今まで一度も永遠子よりも先に待ち合わせ場所についたことはなかった。

「珍しいな……」

ぼそっと呟くと、稔はオブジェに寄りかかって永遠子が来るであろうJRの方を観察することにした。



「遅い……」

永遠子の門限のことも考えて、9時半に待ち合わせしていたというのに、時刻はもうすぐ10時になろうとしている。
10分ほど前に送ったメールには返信はない。
携帯にかけてみても「電波の届かないところに……」というアナウンスが流れるばかり。

「急病でメールの返信もできないくらい具合が悪い……」

いや、それならあの母親が代わりに連絡くらいくれそうなものだ。

「事故……」

稔は慌てて携帯で市内の交通情報を調べてみた。
しかし、それらしい事故は起こっていないようだ。

「事件……誘拐?拉致?」

悪い想像ばかりが際限なく広がり真っ青になった。
稔は藁にもすがるつもりで、携帯でワタルのアドレスを呼び出した。
しかし、コールは鳴っているのにいつまでたっても繋がらない。

「なんでいなくていい時はいるくせに、頼りたい時に限って連絡がつかないんだよ!!」

乱暴に通話を切ると、稔は脱力して座り込んだ。

「あの〜、大丈夫ですか?」

心配よりも好奇心や媚びの方がいくぶん強そうな声がして顔を上げてみると、女子大生風の女が2人、声で感じた印象通りの表情を浮かべて立っていた。

――永遠子ちゃんだったら、顔は無表情でもこっちが逆に申し訳なくなるほど心の底から心配そうな声を出して気遣ってくれるんだよな……

稔は大きく溜息をつくと、猫をかぶることもせず、ぞんざいな態度で2人を追い払った。

――永遠子ちゃん……どこにいるんだよ。

途方に暮れて、すがる思いでもう一度JRの方を見やったその時、稔の携帯が音楽を奏でた。

――ゴスペラーズの「永遠に」……永遠子ちゃん!!

「もしもし!永遠子ちゃん!今どこにいるの!?」

稔は周りをはばかることもせず、大声で叫んだ。

『……すみません……』

対照的に、永遠子の声はひどく小さかった。
電波が悪くて聞き取りにくい、という感じではなく、声をひそめているような声だった。
稔は永遠子と連絡がついたことで少しだけ平常心を取り戻すことができた。

「ごめん、取り乱して。とりあえず、無事なの?」
『無事?』
「事故に遭ったとか、事件に巻き込まれた、とか」
『あ、それは大丈夫です』
「……よかった……。誰かに拉致でもされたのかと思って心配した」

少し余裕が生まれて、半分冗談のつもりで言った言葉に、永遠子はしばし沈黙したあと

『……ある意味、拉致かもしれません』

と聞き捨てならないことを宣った。

「え!……拉致って、永遠子ちゃん、今どこにいるの!?」
『トイレです』
「……具合が悪いの?それとも閉じ込められて…・」
『いえ……ここでしか電話出来そうもなかったので、避難してきたんです』
「ちょ、本当にどういうこと!!そこはどこのトイレなの!?」
『……神戸空港です』
「神戸ぇ!!!?」
『……はい』
「な、なんでまた」
『……兄が部屋から出てきたんです』
「は?」

言葉を失う稔の耳に、遠くの方からかすかに永遠子を呼ぶ男の声が聞こえた。

あ、はい……大丈夫です。今行きます。
六原さん……ごめんなさい。今日の約束、果たせそうもありません。
この後、10時半の便でわたし、沖縄に行かないといけないんです』
「ちょ、待って沖縄って、どういうこと!?」
『……わこ!どうしたんだ!気分が悪いのか!?』
『お父さん……本当に大丈夫ですから。化粧ポーチをひっくり返しちゃっただけです。
六原さん……本当に申し訳ありません。詳しくはあとで隙を見てメールします』
「ちょ、永遠子ちゃん!!」

稔の叫びもむなしく、通話は切れてしまった。