14:外敵認定(3)



 重苦しい沈黙。
 稔にとっては「蛇の生殺し」を実感として感じる沈黙であった。
 永久兄弟にとっては、稔の言葉を理解し吟味するのに要した沈黙であった。
 永遠子にとっては理由が分からない謎の沈黙であった。

 稔が耐えきれなくなって頭を上げた瞬間、目に飛び込んできたのは不自然ににこやかな永久兄弟の姿だった。
「あの…」
 稔の声を無視して、兄弟は永遠子に向き直るとその華奢な肩にそっと手をかけた。
「永遠子、お前は本当に優しい子だな」
「はい?」
「彼は少し脳に障害があるらしい」
「優しい永遠子が彼を邪険にできないのはよく分かる」
「でもな、精神的な病気はちゃんとプロの専門医に任せた方が彼のためだ」

 言い含める兄たちの真剣なまなざしを受けて、永遠子は二度ほどぱちりとまばたきをして稔を凝視した。

「六原さんは病気なのですか?」
「病気じゃないよ!!」

 確認しないで!
 稔は必死な形相で反論したが、兄弟はなおも哀れむような目で稔を見た。

「だいぶ重症とみた」
「可哀想に永遠子と付き合っているなどとありえない妄想を……まあ、気持ちは分かるが」

 兄のつぶやきに、永遠子はつっと背伸びをして声を荒らげた。

「わたしと六原さんは本当に付き合ってます!それを妄想と言うのなら、むしろ妄想しているのはわたしの方です。六原さんがわたしと付き合ってるなんて……ありえないのはわたしの方です!
はっ!そうなのですか!六原さん!もしかして今この瞬間はわたしの妄想ですか!」
「ちょっと待て永遠子!本当にこの胡散臭いどこぞの国の絵本に出てくるいいとこ取りの白馬の王子もどきと付き合ってるのか!王子様なんて大した苦労もせずに物語の最後になって突然登場しておいしいとこだけとっていくずる賢い卑怯なヤツなんだぞ!」
「そうだ!大体、王子なんて死体に口づけするネクロフィリアとか靴で嫁捜しをする足フェチとか変態ばっかりだぞ!」
「それに、『大きくなったら永くんのお嫁さんになる!』って言ってたじゃないか!」
「違う!『久くんのお嫁さんになる』って言ったんだ。勝手に思い出をねつ造してんじゃねえ!」
「お前こそねつ造してんじゃねえか!お前もこの王子もどきと一緒に精神病院入っておけ!」
「2人に『お嫁さんにしてやる』と言われた覚えならありますが、わたしが『お嫁さんになる』と言った覚えはないのですが」
「「永遠子!?それは記憶違いというヤツだ!」」

 なんだこのカオス状態は。
 佐倉三人兄妹は大声でまくしたてながら団子状態になって稔を壁際に追いやってくる。
 しかも会話の内容は8割方、稔のあずかり知らないものに発展しているような気がする。

「大体、こいつの一体どこがいいんだ!全然お前のタイプじゃないだろう」

 聞き捨てならない台詞に、稔は咄嗟に永遠子の顔をうかがったが相変わらずそこにはなんの表情も浮かんでいない。

「タイプです。タイプそのものです!」
「嘘だろう!だって永遠子は身長180cm以上の男が好きだろう?」
「握力は60Kg以上が好きだろう?」
「格闘技の一つや二つ嗜んでいた方がいいだろう?」

 見事にピンポイントで自分たちに当てはめたプロファイル。
 その自信はいったいどこからくるのか。

「別に身長や握力に特段のこだわりはありません。格闘技はしていてもいいですけれど、していないからといって別になんとも思いません」
「じゃ、じゃあ、永遠子はこんななよっとした優男の方がタイプなのか?」
「こんなへらっとした軟弱そうなヤツが好きなのか?」

 学園の王子様も、永久兄弟にかかればただの軟弱な優男あつかいである。
 言いたい放題な兄たちに、永遠子はほんのわずかに眉をひそめた。

「六原さんはなよっともへらっともしてません」
「「じゃあ、こいつのどこがよかったんだ!」」

 永遠子はしばし沈黙すると、上目づかいでそっと稔を見てふと視線を落とし、ぽつりとつぶやいた。

「全部が好きだから、どことか挙げられません」

 うーーーーーわーーーーーーー!!
 可愛い!
 なにこれ!
 抱きしめたい!

 稔は兄たちの目の前でなけれは確実に実行に移していたに違いない。
 真っ赤になってにやける顔を手で隠しながら、なんとか衝動を押し込めた。
 しかし幸せに浸っていられたのわずかな時間だけだった。
 突然覚えのある痛みを感じて顔をあげると、鬼神再来、殺意再発、といった様子の兄に両腕を掴まれていた。

「貴様一体どんな手を使った」
「さては貴様、催眠術師だな」
「貴様が法で裁けない手段を使ったというのならこちらも手段を選ばんぞ」
「おい久、そのまま押さえてろ。とりあえず一発殴りたい」

 その目は殴るどころか確実に殺そうとしている。
 後ろにいた永遠子からは兄の表情は見えていなかったが、尋常でない空気を放つ兄に異常なものを感じた彼女は慌てて3人の間に割って入った。

「乱暴はやめて下さい!六原さんの体に痣一つでもつけたら、わたしがバットで2人を殴ります!」
「永遠子ちゃん!?気持ちは嬉しいけど、さすがに俺のために犯罪者にはならないで!」
「大丈夫です!ちゃんと急所ははずします。それに永くんと久くんは鍛えているのでバットで殴られたくらいじゃ死にません」

 当然だ。
 という顔をしている兄たちに稔は引きつる顔が戻せない。
 佐倉家の常識はどうなっているのだろうか。

 しばし無言で見つめ合っていた佐倉兄妹であるが、妹のいつになく強気な様子に稔を拘束していた久はため息をついて手をはなした。永の方はまだ納得がいかないのか、「なぜ放した」という目で久を睨み付けた。

「分かった、永遠子。お前がそこまで言うのなら仕方がない」
「おい、久!」
「黙れ、永!」

 久は一喝すると永遠子に身をかがめて永遠子の肩に優しく触れた。

「こいつは気に入らないし、出来ることなら簀巻きにしてオホーツク海の流氷に乗っけてやりたいが、ここは我慢をして二度とこいつを殴ろうとしないと約束しよう」

「久くん…」と安堵の声を漏らす永遠子に、永は面白くなさそうに顔をしかめる。

「お前、こいつを認めるって言うのか!?」

 永の叫びに久は再び「黙れ!」と叫び返した。

「話しはまだ途中だ!」
 そして、久は永遠子に向き直ると困ったような表情で言い聞かせるように言った。

「でもな、永遠子。お前に彼氏はまだ早い」

 久の意図を瞬時に読み取った永は、若干、久を押しのけるように体を割り込ませ同調した。

「そうだぞ、永遠子!お前はまだ高校生じゃないか」

 永遠子は2人の勢いにも表情を変えずに、しかし確実に不満げに不平を漏らした。

「もう、高校生です。高校生になったら彼氏くらいいてもいいじゃないですか。漫画や小説の中では普通です」
「漫画は漫画、現実は現実だ」
「まったくだ。永遠子は純粋で無邪気すぎる。今日だって2人で暗闇の映画館なんて…危機感がなさすぎる!」
「もしや永遠子!お前、学校でもこいつと空き教室で2人きりになったりなんかしてないだろうな?」
「ダメだぞ、絶対!男子高校生の好意なんてのは下心と同義なんだぞ」
「そもそも、なんで永遠子は共学に通っているんだ!あのままエスカレーターで女子校に進めばよかったものを!」
「こんなことならあの時もっと強く反対しておくんだった!」
「俺は反対したぞ!それなのに久が親父の『遠くの女子校に電車で通わせるくらいなら、たとえ共学でも近所で、俺の息がかかった教師が数人いる北条院の方が安心だ』なんて口車に乗せられるから!」
「お前だって最終的には認めたんだから同罪だろうが!て言うか、お前、押してくるなよ!」
「お前こそ、さっきから永遠子にベタベタ触りすぎなんだよ!お前の馬鹿力で掴んだら永遠子の肩がはずれるだろうが!」
「なんだと!3歳の永遠子を引っ張りすぎて肩をはずしたヤツの言う台詞か!?」
「お前だって、永遠子が5歳のとき振り回しすぎて脳しんとうを起こさせたじゃないか!」
「それを言うなら、7歳のときに落っことして足を捻挫させただろう!」
「あれは、俺が抱き上げようとしているのをお前が邪魔したせいだろう!」
「俺を出し抜こうとした方が悪い!」
「それをお前が言うか?むしろお前の方がタチが悪い策略をガキのころから繰り返してるだろうが!
今だってそうだ!物わかりがよさそうな顔して好感度を上げようとしてんのはバレバレなんだよ!
手を放しやがれ!」

 永は久の腕を掴んで永遠子から引き離した。

「何すんだ!痛てえだろ!この馬鹿力!」
「俺のが握力は0.5kg上だと言っただろう」
「スピードは俺の方が上だがな!」

 久はそう言いながら素早い動きで永の足を払った。バランスを崩した永は咄嗟に久の腕を掴んでバランスを立て直し。

「てめえ、この野郎!」

 永が久に掴みかかると、辺りでは「きゃー」という悲鳴があちこちで起こり、雑踏の先から警備員らしき制服の男たちが数人かけよる姿が見えた。

 唖然としたままなりゆきを見守っていた稔は、不意に手に触れた暖かな感触に驚いて目を放した。
 視線の先には、しれっとした表情の永遠子。
 視線を下におろすと自分の手に軽く触れる永遠子の小さな手。

「六原さん、わたし、お好み焼きが食べたいです」
「はい?!」

 後ろでは警備員に取り囲まれてなお騒ぎ続けている彼女の兄。

「たしか、1階の駅構内のはずれにお好み焼き屋さんがあったと思うのですが、そこに行きませんか?」
「え、あ……いいけど」
「じゃあ、行きましょう」

 永遠子は稔の手をぎゅっと握ると、そのままエレベーターホールの方へ脇目もふらずに歩いて行く。
 頭の切り替えが出来ていない稔は戸惑うばかりである。
 振り返って見てみると、兄たちは警備員にどこぞへ連行されようとしている。

「あの、お兄さんたち警備員に連れてかれちゃうけど……」
「大丈夫です。いつものことですから」
「いつものことなの!?」

 稔の驚きなど気づきもせず、永遠子はあっさり肯定する。

「家族で出かけると、兄は必ず1回は取り押さえられるんです。両親から、兄が問題を起こした時はすぐに他人のふりをして現場を立ち去るよう言い聞かせられています。わたしが関係者だと分かると余計ややこしいことになるらしいので。幸い、わたしと兄は似ていないので、こうやって立ち去ってしまえば家族だと思われることはありません」

 もはや苦笑することしか出来ない稔に、永遠子は一度立ち止まると首をわずかにかしげてみせた。

「心配しなくても兄は大丈夫ですよ。これまで何度も問題を起こしていますが、前科がついたことはありませんから。お説教を1時間くらい受けたら解放されると思います」

 別に兄のことは心配ではないけれど、こんな事態を「いつものこと」ですませられるような環境で育っている永遠子のことが非常に心配になった稔であった。