裏生徒会日誌(雑用)


「そっかぁ。じゃあ、刈谷さんは会長とは入学前から知り合いだったんだ」

僕の言葉に、刈谷さんは大きな事務机の向こう側でこくりと子供のようにうなずくと、にこぉと口を横いっぱいに広げて嬉しそうに微笑む。

あぁ…癒される。
彼女はこのピリピリとした空気の漂う殺伐とした生徒会室のオアシスだ。
いや…僕がこの生徒会を「殺伐」などと文句を言える立場でないことは分かっています。
すみません、ごめんなさい、許してください。

……誰が読むでもない個人的な日誌で僕は一体誰に謝っているんだろう。
最近、すっかり謝り癖がついてしまった。
それもこれもすべて生徒会…いや、皇帝陛下のせいだ。



うぉぁぉ!
何を書いているんだ、僕は!もしこれが皇帝陛下の目に入ろうものなら……想像するだけで恐ろしい!!


「誰のおかげで無理矢理入部させられた柔道部でのパシリ生活から足を洗えたと思っているんだ?
恩義を忘れて一人前に下らない愚痴をこぼしたいというのなら、出て行っても一向に構わないぞ。
ただし、今後平穏な学校生活が送れるとは思わないことだな」


……あぁ、今リアルに聞こえた。
突き刺さるような情け容赦ないお言葉が。

いやもう、その件に関しては皇帝陛下さまさまなのはよくよく分かっている。

気が弱くて引っ込み思案で人見知りで押しに弱い僕は、なぜかその内面に反して発育だけは異常によかった。
おまけに人相がかなり悪い。たまに寝起きに鏡を見て、あまりの恐ろしさに悲鳴を上げそうになることがあるくらい。さらには、中学時代、バス代を浮かすために片道45分かけて自転車で通ったのが悪かった。鍛えたつもりはないのに無駄に筋肉がつき、僕は屈強な筋肉バカにしか見えないルックスに成長していた。
そんな僕に目をつけた柔道部の先輩に無理矢理入部させられたのだけど、僕が見かけ倒しだと分かると部内いじめの恰好の餌食となった。あの頃のことは正直二度と思い出したくない。

そんな僕を救ってくれたのが皇帝陛下こと生徒会長だった。
それに関してはいくら感謝してもしたりない。
唯我独尊、冷酷無慈悲、孤高の人、そんな噂がつきまとう彼が僕なんぞを救い生徒会に拾ってくれるなんて、百年に一度のきまぐれだったのか、それとも――。



「でね、そのとき先輩がわたしを『お前は小間使いのコマ子だな』って呼んだの。そしたらそれがいつの間にか定着しちゃって、今では先生までわたしのことを『コマ子さん』なんて呼んでるんだよ!いやじゃないけど、ちょっと照れくさいよね、て……雄平くん?聞いてる?」

わぁ!ずいっと身を乗り出して刈谷さんの顔が俺の目の前に!
か、かわいい………。
肌は透き通るように白いけれど、ほっぺのあたりだけほんのり赤く、くりっくりの大きな目が不思議そうに僕を凝視する。少し半開きの小さくて可愛らしい唇は熟れたりんごのように真っ赤で思わずそこに釘付けになる。
すると、何を思ったのか、刈谷さんは人差し指をつんと立てると僕の顔に突きつけた。

「えい!」
「うわっ!」

情けない声を出した僕に、刈谷さんは悪戯が成功した子どものような顔でにっと笑った。

「眉間にしわ!雄平くんまた恐い顔してる。ダメだよ。雄平くんは本当は優しいのに、そんな顔してるから誤解されちゃうんだよ。笑う門には福来たる!スマイル、スマイル!」

あぁ、もう……。
泣いてようが怒っていようが笑っていようが常に怖がられてしまう強面の僕だから「笑え」と言われてもなかなか素直に笑えないのだけど、彼女に言われると自然に顔の筋肉がほぐれてくる。

「ありがとう、刈谷さん」
「うーん、雄平くんも『コマ子』でいいよ?」

突然の申し出に僕は思わずうろたえる。

「えぇ!」
「わたしだって雄平くんのことは雄平くんって呼んでるんだし、そもそもわたしのこと『刈谷さん』なんて呼んでるの雄平くんくらいだよ?」

いい、いいのだろうか?
自慢じゃないが、僕は女の子とほとんどしゃべったことがない。
このルックスのせいで、女の子から基本的に敬遠されていて、人見知りな上に口下手な僕が自分から話しかけられるわけもなく、刈谷さんのように向こうから話しかけてもらわないと挨拶すらできない。
そんな僕が、刈谷さんのことを、こ、コマ子さんだなんて……

「い、いや、そんな滅相もない!」
「あ、呼びたくないなら無理にとは言わないけど」

あぁーー!違う!呼びたくないわけではない!むしろ逆です!ホントは思いっきり呼びたいです!

「でも、なんとなく”刈谷さん”よりは”コマ子”の方が仲良しっぽくない?」

なななかよし!!!

「せっかくこうして同じ1年生で生徒会で一緒に頑張ってるんだもん。どうせなら仲良くしたいじゃない?」

間違いなくこの瞬間、僕の顔は「ぼん」っという音を立てて真っ赤に染まった。

「あ、あー、あの、じゃぁ、呼ぼう…かな」

しどろもどろな僕の言葉に、目を輝かせる刈谷さん――いや、こ、コマ子さん。

「うん、呼んで呼んで!」
「あ、う、うん、えっと……こ、こま、コマ、子さ」
「おい」「ポチ」「ハチ」「ゴン太」「コロ」

突然飛び交う生徒会メンバーたちのせっぱ詰まった呼び声。
ちなみに、このなんだか不名誉極まりないあだ名はすべて僕のものだ。

「えっと、あの、せめてあだ名は統一して下さい」

僕は控えめに訴えた。

「イヌ」
「あぁ、よりにもよって一番屈辱的なものに!」

思わずこぼれた僕の不満の声に、なぜか生徒会室の空気が凍り付いた。

「ほぅ……『屈辱的』、ねぇ……」

ひぃ!
こ、このお声は!

恐る恐る声の方向に顔を向けると、口元に冷たい微笑を浮かべた皇帝陛下が!

「い、いえ、あの、その……」
「『イヌ』が嫌なら何がいい?下僕か?奴隷か?役立たずか?くずか?能なしか?」
「いいいいいえ!イヌでいいです!いえ、イヌと呼んで下さい!」

僕は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、直立不動で声を張り上げた。
皇帝陛下は座っているのに見下ろされているような気持ちになるのは、決して気のせいではない。
もう恐ろしくて恐ろしくて皇帝陛下を直視できない。

「随分と楽しそうだなぁ、イヌ」
「はい!」
「今日は何曜日だ?」
「に、日曜です!」
「そうだ、日曜の朝っぱらから本来ならばやらなくてもいい仕事を生徒会メンバー全員総出でやらなくてはならないのは一体どこのバカの失態のせいだったかな」
「わ、わたくしめのせいでございます!」
「そう、人に尻ぬぐいをさせておいて、張本人のお前がさっきから手も動かさずに呑気におしゃべりに高じているとはいいご身分だなぁ」
「もももももうしわけありません!」
「謝っている時間があるならそんなところでバカみたいに突っ立ってないでさっさと座れ!」
「はい!」
「お前が目にしていいのはその目の前に山積みになってる資料だけだ」
「はい!」
「お前がしゃべっていいのは俺への返事だけだ」
「はい!」
「分かったらさっさと作業に入れ」
「はい」

今、僕の顔を鏡で見たら間違いなく死相がでていると思う。
すみませんすみません、本当、調子に乗りました。
僕は一心不乱に資料に目を走らせる。

そのとき、すっと白くて小さな手が目の前をかすめた。
えっ、と思って顔を上げると、申し訳なさそうな顔をした刈谷さん、じゃない、コマ子さんが僕のノルマの資料を半分ほど自分の手元へたぐりよせていた。
目が合うと、コマ子さんは顔の前でそっと手を合わせた。

「ごめんね、雄平くん。わたしがしゃべりかけたせいで……。半分はわたしのせいだから、半分手伝うね」

天使!!
凡人の僕には見えないだけで、この子の背中には絶対羽が生えているはずだ!
嬉しくて泣きそうになる。

とその瞬間、なぜか空気が再び凍り付いた。いや、凍ったなんて生やさしいものではなかった。
瞬間凍結した水蒸気の固まりが時速150kmの速さで僕に向かって一斉に全力投球されたような、なんかもう物理的に痛みを感じたような錯覚を覚えるほどの凄まじい威圧感。

「コマ」

威圧感の主が放った鋭い声に、呼ばれた本人は相変わらずのほほんとした様子で振り返る。

「なんですか?」

いや、なんですかじゃないし!コマ子さんはなんとも感じないのだろうか、この空気!

「それは戻してこっちへ来い」

コマ子さんは手元の資料に一旦目を落とすと、僕にそっと「ごめんね」という視線をよこして資料を山に戻した。
そして、ちょこちょこ、という音でも聞こえそうな足取りで皇帝陛下のもとへ小走りで駆け寄った。

「お前は誰の小間使いだ?」
「御門先輩の小間使いです」
「そうだ、”俺の”小間使いだ。”生徒会の”小間使いではない」
「はい」
「お前は俺の命令だけ聞いていればいい」
「はい」
「俺が命令していないことはしなくていい」
「はい」
「分かったらそこの本棚を整理しろ」
「え?」
「なんだ?」
「いえ……だって、それは急がないから時間があるときでいいって、この前先輩言ってませんでしたか?
こっちの資料は明日までに終わらせないといけないんでしょ?それならわたしもそっちを手伝った方が……」
「コマ子」
「はい」
「俺には俺の考えがある。あれはお前が手伝う必要はない。お前は本を整理するんだ。いいな?」
「はい」

必死で資料と格闘しながら、耳にはしっかり皇帝陛下と小間使いのコマ子さんの会話が流れ込んでくる。
僕は初めてこの生徒会室に訪れたときのことを思い出していた。


――あぁ!あなた、この前校舎裏にいた人でしょ?生徒会に入るの?


あとで他の生徒会メンバーから聞いた話によると、コマ子さんは校舎裏で僕がリンチを受けているところを目撃して、それを皇帝陛下に報告していたらしい。そのとき皇帝陛下はまったく興味なさげに聞いていたから、その後すぐに柔道部の粛正に動いたときはメンバーもみんな驚いたとか。
御礼を言うだけのつもりで生徒会室に訪れ、コマ子さんの勧誘に一瞬で落ちた僕を皇帝陛下は何も言わずに受け入れた。これも他のメンバーたちを驚かせる事件だったらしい。皇帝陛下は常々「使えない人間はいらない」を口にしていたから。(僕は「使えない人間」の代名詞のような人間だ)

「御門先輩」

コマ子さんがこれ以上にないほどの喜びと親愛の情を込めて口にする名前。

「なんだ」

それに答える皇帝陛下の声は、心持ち温かく優しさがにじみ出ている。



皇帝陛下が僕を拾った理由。
この可愛くて優しい笑顔を見たかったから――なんていうのは、僕の考えすぎだろうか。




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