閑話「王子様と村人A」(3)



「彼女にあんたの過去の悪事をバラしてやりたい!」

 憎々しげにぶつぶつ文句を言う好と対照的に、稔は叩かれた頭を気にしながらもしれっとした顔で
「別に隠すつもりはないけど」と言った。
 好は目を見張り、奇妙なものを見るような目で稔を見た。そんな姉の様子に稔は苦笑してみせる。

「彼女に隠し事はしたくないし、聞かれたら隠さず話すよ」
「嫌われるわよ?」
「嫌われたくはないけど……」

 稔は困ったような顔で天井を見上げしばし目を閉じてぼそっとつぶやいた。

「そんなろくでもないヤツだった過去があっての、今の俺だから」

 そこまで言うと、稔は目を開いて、ふにゃっと――好ですら幼少期にした見たことがないくらいあどけない笑顔で笑った。

「彼女なら、きっとそう言う。彼女は過去で人を好きになったり嫌いになったりしないから。
今の俺が嫌われるようなことをしないかぎり嫌いになったりしない。そういう子なんだ」

 遠くを見つめながら、見ているこちらが恥ずかしくなるほど愛おしそうな顔と声。
 好は自分の目と耳が信じられなかった。
 これが本当に究極猫かぶりの弟か?!
 自分を恋愛不信とすると、弟は人間不信に近かった。
 その弟が誰かに絶対的な信頼を寄せるなんて!!

「あんた、誰!?稔の皮をかぶった何?宇宙人?うちの弟に寄生しても地球人の正しいデータは採集できないわよ!?」
「……姉さんってたまに電波入るよね。何、本って読み過ぎると毒されるわけ?」
「だって別人じゃないのよ!あんた高校で何があったのよ?」
「彼女に出会った」
「キモイ!」

 本気で気味悪がる姉に、稔は少しムッとした顔をする。

「キモイって何だよ!事実なんだから仕方ないだろ!」
「一体何者なのよ、その彼女は!?稀代の悪女かなんかなの?あんたをそこまで骨抜きにするなんて!」
「いや、どっちかと言うと聖女」
「キっモイ!!」
「キモくないっつの!可愛いっつの!激カワだっての!」
「あんた面食い嫌いじゃなかったの!?」
「顔だけじゃねえよ!顔も体も声も髪も性格も全部、全部が可愛いの!存在すべてが可愛いの!
見てるだけでぎゅっと抱きしめてなでまわしてキスして食べちゃいたいくら」
「黙れ!変態!!」

 好は両手にスリッパを持つと問答無用で投げつけてきた。
 稔はそれを機敏な動きでかわすと「あっぶねえな!」と目を丸くした。

「さっきからなんなんだよ!怪我したらどうすんだ!明日デートなんだから、彼女が心配するだろ!」
「幻想抱いてんじゃないわよ!そんな無条件に可愛い子なんて少女漫画の中にしか存在しないわ!」
「少女漫画から飛び出したみたいな子なんだって!」
「だからキモイって言ってるでしょ!そんな可愛い子だったらあたしもお目にかかってみたいわよ!」
「ああ、姉さんとは気が合うかも。彼女、少女漫画と少女小説が大好きなんだ」
「え!」

好の目が一瞬きらりと輝いたのを、稔は見逃さなかった。

「あ、あたしは別に少女漫画は好きじゃないもの!気なんて合わないわよ」
「そう?ちなみに彼女は少女漫画では明日坂麟華の『果物シリーズ』?とか言うのが好きらしいよ」

好の体がぴくっと動いた。

「小説だと類河レイの『学園未来』シリーズが好きだって」

その瞬間、好はものすごい勢いで稔の懐に飛び込むと、両腕をがっちりと掴んだ。

「明日デートの後にうちに連れてきなさい!」

その目は見たことがないくらいキラキラと輝いていた。

「は?ヤダよ」
「あんたにふさわしい子かどうかあたしが見極めてあげるから!」
「嘘付け!俺のことなんか興味ないくせに!」
「やあね。姉なんだからあるに決まってるでしょ。大事なたった一人の弟が変な女につかまったなんてことになったら、心配で夜も眠れないわー。お母さんも心配するわよ」
「中学時代、俺が誰と付き合っても一度も気にしたことなんかなかっただろ!」
「いいから、あんたは黙って連れてくればいいのよ!」
「だいたい、明日も姉さん学祭の準備があるって言ってたしょ」
「準備は4時までよ!5時には家につくから、それくらいの時間見計らって連れてきなさい!」
「ヤダよ。その時間じゃ母さんまでいるじゃん。なんで初デートでいきなり家族に紹介とかしないといけないんだよ」
「本気のつきあいなら遅かれ早かれいつかは紹介するんでしょ!それが明日に繰り上がっただけの話よ!問題ない!」
「問題あるわ!俺らまだ付き合って10日くらいなんだけど!」
「じゃあ、何よ!本気とか言って実は別れる気、満々だって訳!?」
「ねえよ!別れる気なんて!」
「だったら、しのごを言わずに連れてくればいいのよ!滅多にいないのよ『学園未来』語りが出来る子なんて!」
「やっぱりそっちが本音じゃねえか!」

 稔はへばりついてくる姉をはがそうと腕をつかもうとしたけれど、好も負けじと手に力を入れる。

「連れてこい!」
「いーやーだ!」
「なんでよ!家族に紹介できないような子なわけ!」
「そんなわけないだろ!どこに出しても恥ずかしくないくらいいい子だ!」
「だったらいいでしょうが!連れてきなさい!」
「彼女が怖がる!」
「別にいじめたりしないわよ!」
「そうじゃなくて!!」

 稔の大声に好は一瞬ひるんで思わず手から力が抜けた。その隙に稔はぐっと姉を突きとばした。

「……デートの後に家に来いなんて言ったら、彼女、絶対妙な想像力を働かせてとんでもない勘違いしそうだから」
「何よ、とんでもない勘違いって」
「……えー、いやぁ……」

 歯切れの悪い弟に、好は腕を組むといらいらと足を鳴らした。

「言え」
「いや、だから……俺が手を出すかもとか……」

 きまりが悪そうな声で言った言葉に、好は自分の血管がぷちんと音を立てたように感じた。
 好はにっこり笑うと、弟の胸ぐらを掴んで引き寄せた。

「あんたたち、付き合って10日とか言ってたわよね?一体何をしたのよ、その子に!」
「何もしてない!」
「じゃ、なんでたった10日でそんなに警戒されてんのよ!手を出したんでしょ!押し倒したんでしょ!
この変態!痴漢!恥知らず!女の敵!性犯罪者!」
「してねえよそんなこと!」
「じゃなかったら、あんたの彼女はとんだ自意識過剰女よ!」
「自意識過剰なんじゃなくて、ちょっと変な常識もった子なんだよ!」
「なにそれ」
「変わった子なんだって。少女漫画を一般常識だと信じてるの!」
「少女漫画を?」
「そう……ていうか、手はなせよ!下から胸ぐら掴まられると苦しいんだけど」

 稔が好の手を掴むと好はあっさり手をはなし、稔はのびた襟ぐりを気にしながら姉を横目で伺った。
 好は目を伏せ何やら考え込んでいるように見えた。
 そして、さっと顔を上げると強い視線で問いかけた。

「たとえば?」
「は?」
「たとえば、どんなことを常識だと思ってるのよ」
「……姉がいるって言っただけで、シスコンだと思われた」
「えぇ?あんたが?」
「そう、少女漫画の世界では兄や弟はシスコンな場合が多いんだって」
「……ぶっ」

 好は思わず吹き出し、そのままお腹をおさえて座り込むとくっくっくと声を漏らした。

「あ、あんたが……シスコン!あっは……た、たしかに、多いけど、シスコン、漫画じゃ…でも、稔が……あ、ありえない……あは、ちょ、」

 苦しそうにぽつぽつとつぶやいていた好は、耐えきれずに大声で笑い出した。

「最高!あんたの彼女、面白すぎる!」

 好は涙を浮かべながらばんばんと稔の足下を叩いた。
 さすが、血の繋がった姉弟。笑いのツボは一緒らしい。
 稔は複雑な気持ちで足下の姉を見つめた。

 ひとしきり笑った好は、稔の足にがっちり両手でしがみついた。

「やっぱり連れてきて!是非とも会ってお話したい!」
「い・や・だ!」
「いいじゃない!出し惜しみしないでよ!お姉さまの言うことが聞けないの?!」
「いきなり年上ぶるなよ!我が家では姉弟平等!それが家訓だろ」
「そんなのお母さんが勝手に言ってるだけでしょ!」
「なんだよ!お菓子もおもちゃも『姉弟平等なんだからジャンケンで勝負よ』とか言って一回も譲ってくれたことなかったじゃないか!」
「そんな小学校時代の話出してくんじゃないわよ」
「だいたい姉さんはズルイんだよ!自分の都合で『年功序列だ』って言ってみたり『姉弟平等だ』って言ってみたり!あと『男女差別だ』って主張したか思うと、『男の仕事でしょ』って言ったりとか!」
「今はそんな話してないでしょ!何、話そらそうとしてんのよ!いいから彼女を連れて来い!」
「絶対やだ!死んでも連れて来ない!少なくとも姉さんがいる日には絶対!」
「なにその嫌がらせ!独り占めするんじゃないわよ!」
「独り占めもなにも、永遠子ちゃんは俺のだ!」
「彼女をちゃん付けとかキモイ!」
「ちゃん付けが一番しっくりくるんだからいいだろ、ほっとけよ!」
「見たい!」
「見せない!」
「会いたい!」
「会わせない!」

 *

 六原姉弟の仁義なき(低レベルな)戦いは、この後母親が帰宅する2時間後まで飽きなく続いていたとかいなかったとか。

 似てないようで似ている姉弟。
 血は争えないものである。