定期テストを間近にひかえた放課後、いつものように自習室に集まった六原稔と佐倉永遠子。
稔は数学の問題集を解いていたのだが、永遠子は相も変わらず稔の斜め後ろの席に座って本を読んでいた。
稔は振り返って、まばたき一つしないで本に目を落とす永遠子に目をやった。
「佐倉って、本当、本好きだよな」
突然の問いかけに永遠子が顔を上げると、ちょうど稔が永遠子の前の席に腰を下ろしているところだった。
永遠子は、出会ってもうすぐ2ヶ月になろうというのに、この近い距離にはいまだに緊張してしまう。
「佐倉っていつもどんなの読んでるの?」
永遠子は返答に困る。
永遠子の読書遍歴は非常に雑多だ。一言で「どんな」本か説明するのは難しい。
稔は、考え込む永遠子をじっくり観察する。
1ヶ月前までは、永遠子の沈黙を、無視されたのか、はたまた聞いていないのかとどぎまぎしたが、最近では考え込んでいる時の癖だと分かってきた。
永遠子は、された質問には必ず答える。それも最大限誠実に答えようとする。そのせいで長く考え込むことになってしまい、無愛想だと勘違いされてしまうのだ。
なかなか返事を返さない永遠子に、稔は、「はい」か「いいえ」や、一言で答えられる質問をすればよかったのだと思い当たった。
「太宰とか?」
「いいえ」
「漱石?」
「いいえ」
「じゃ、ドストエフスキーとか?」
「いいえ」
稔は困った。稔は、本は年に数冊しか読まないので流行の本には詳しくなかった。
「あ、じゃあ、今読んでるのは、何って本?」
「hanahanaさんの『なみだ色』です」
あまりに意外すぎる答えに、稔は10秒ほど思考が停止した。
「え?」
「hanahanaさんの『なみだ色』です」
「あ、ごめん。聞こえなかったわけじゃない。
え、それってあれだよね?今話題沸騰中の携帯小説だよね?」
「はい」
「三角関係、二股、裏切り、援交、妊娠なんでもござれのベタベタネタを惜しげもなくこれでもかってくらい大判ふるいで、どろっどろのぐちゃぐちゃな話なのに、ラストがやたらと爽やかだと噂の、あれだよね」
「はい。それです」
「……へ、へえ。そんなの読むんだ」
「恋愛小説は好きなんです」
「へぇ……」
「特に、十代の恋愛を扱った少女小説が好きです」
「そうなんだ…」
「少女漫画も好きです」
「意外だ……」
「わたしも意外です」
「ん?」
「六原さんも、読んだのですか?『なみだ色』」
「いやいやいや、まさか!」
「そうなのですか?その割にはずいぶん詳しい内容説明でしたね」
稔は思わず苦笑した。
「いや、姉さんが読んでたんだ」
「お姉さん……」
「ああ。姉さんは本は好きなんだけど、恋愛小説が大っ嫌いなんだ。でも、なんだかんだ文句言いながら実は一番恋愛小説を読んでいるんじゃないかな……。『なみだ色』のことも、”くだらねぇ!”とか、”こんなヤツいねえよ”とか、”展開が無理すぎる”とか、”こんなの私でも書ける!”とかぶつぶつ文句言いながら結局最後まで読んでたよ。いちいち声に出して突っ込んでたから嫌でも耳に入って覚えちゃったんだ」
「そうなんですか、お姉さんが……」
「そう。そんなに下らないなら読まなきゃいいのに”読まなきゃ正しく貶せないでしょ!”とか言って」
「じゃあ、六原さんはシスコンなんですね?」
稔は再び固まった。10秒では足りず、きっちり30秒間固まった。
「えぇ?ごめん。俺、何か誤解を与えるような言い方したかなぁ?」
「シスコンじゃないんですか?」
「違うよ!うちの姉に萌られる要素なんて皆無だよ!」
「そうなんですか……」
「そうだよ!」
「わたしにも兄が2人いるんですが」
「え、あ、そうなんだ。突然話が変わったね」
「実は、わたしの兄もシスコンじゃないんですよ」
「…………」
「お互い、変わってますね」
どんな意図があっての発言なのか、永遠子の無表情からは当然のごとく読み取れる訳もなく、稔はとりあえずしばし絶句することしかできなかった。