18:とっておきのもの(1)



六原稔は、雪国仕様の無骨な箱形一軒家の前で一人たたずんでいた。
そこは稔の彼女、佐倉永遠子の実家。
帰りに近くまで送ったことはあるけれど(送るほどの距離ではないけれど。永遠子の家は学校から歩いて50歩のところにある)、こんな風に家の前に立ったことはなかった。

高校に入って初めての夏休み。
つきあい始めて1ヶ月の高校生カップルにとっては心躍るイベント目白押し、なはずの夏休み。
稔も永遠子もそれぞれ計画を考えてはいたけれど、例によって例のごとく、互いの身内に邪魔されて日中図書館デートが関の山という状態であった。

そんなある日、いつものように図書館で一緒にすごした帰り、永遠子が突然切り出した。

「六原さん、明日、我が家へ来ませんか?」

「へ?」

自分でも情けないとしか言えない声が飛び出した。

「明日、我が家へ来ませんか?母が六原さんに会いたがっているんです」

母親はいるのか。
いや、当然か。

よからぬことが頭をよぎった自分に、稔は思わず苦笑する。

「俺はいいけど……お兄さんやお父さんは、いいって?」
「あ、兄と父はいません。だから丁度いいから呼ぼうという話しになって……」

稔はほっとして胸をなで下ろした。
あれ以来、兄たちとは直接対面はしていない。
しかし、稔が永遠子に友達以上の親密さで近寄ろうものなら、どこからともなく妨害してくる。
あの人たちは実は忍者か何かじゃないのかと、最近は本気で疑い始めている。

そんなこんなで、強敵三人不在とあれば赴かない理由などあるはずもなく、稔は今日、佐倉家にやってきたのであった。



ピンポーン

古風な呼び出し音から待つこと数秒、ドアがすばやく開いて小柄な女性が顔を出した。
その女性を見た瞬間、稔の頭には「ふわふわ」という単語が意味もなく思い浮かんだ。

「稔くん?」

ふんわりと柔らかなソプラノの声に我に返ると、稔は佇まいを正して頭を大きく下げ、挨拶した。

「六原稔です。永遠子さんにはいつもお世話になっています。今日はお招き頂きありがとうございま」
「きゃーー!素敵!」

昨日の夜から考えていた挨拶の言葉は、見事に途中でかき消された。

「顔を上げて!きゃぁ!素敵素敵!永遠子ちゃんから聞いていたけど、想像してたよりずっと格好いいわ。さすが永遠子ちゃん、見る目があるわぁ」
「あ、ありがとうございます」
「やだ、わたしったらつい興奮して!お客様を玄関先で失礼だったわね。どうぞ入ってちょうだい」
「あ、はい。失礼します」

出されたスリッパに足を通すと稔は永遠子の母の半歩後ろをついていった。

「永遠子ちゃんは今キッチンにこもってるのよ。稔くん、甘いものが好きなんですって?」
「あ、はい」
「”六原さんに食べさせてあげるんだ”って、昨日からはりきっちゃって。うふふ。永遠子ちゃんって可愛いわよね、本当に」
「はい」

甘い香り漂うキッチンでエプロン姿の永遠子を想像して、稔は思わず頬がゆるんだ。

「永遠子ちゃん。稔くん来たわよ」
「ダメ!!」

リビングのドアを開けた瞬間、中から今まで聞いたことがない、厳しくも悲痛な叫び声が聞こえた。

「え?」

絶句していると、ドアの隙間から永遠子の顔がのぞいた。
ポーカーフェイスの永遠子にしては珍しく、見るからに憔悴しているのが分かるほど顔色が悪かった。

「出来るまでキッチンには近寄らないで下さい」

疲れ切った声に、稔は戸惑って母親の顔を伺ったが、彼女はのほほんとした表情を崩さず

「あらそう?手伝わなくてもいい?」

永遠子がゆっくりうなずくのを見届けると、母はにっこり微笑んで静かにドアを閉めた。

「出来上がるまで、永遠子ちゃんのお部屋に行っておきましょうか」
「え……いや、いいんですか?勝手に入ったらまずいんじゃ……」
「大丈夫よ。永遠子ちゃん、そういう細かいことは気にしない子だから」

そういう問題なんだろうか。

温厚でまともそうに見えても、やはり佐倉家の一員。一筋縄ではいかない人のようである。



「どうぞ。今飲み物持ってくるから適当に座っててちょうだい」

永遠子の母はそう一言言い残すとぱたぱたと足取り軽く出ていった。
稔は立ったままぐるっと部屋を見回した。
白と木で統一されたその部屋は、想像していたほど乙女チックではなかったけれど、永遠子のイメージにはぴったりだった。
窓のない壁はすべて備え付けの本棚になっており、そこには聞き覚えのあるベストセラー小説やら、姉が文句たらたら読みあさっていた少女漫画、少女小説やらがジャンル分けして並べられていた。

――間違いなく永遠子ちゃんの部屋だなぁ。

なんだか可笑しくなって思わず目を細めたそのとき、稔の目に飛び込んできたものがあった。
稔の目はそこに釘付けになり動かすことができなかった。