15: 情報戦、開幕



 月曜日。六原稔の機嫌はあまりよろしくなかった。

 昨日の佐倉永遠子との初デート。初めから終わりまで調子を狂わされっぱなしだった。
 いや、すべてが最悪だったかと言えばそうとも言い切れないのだが。
 つないだ手のひらは小さくてすべすべしていて、抱き寄せた腰は細くて。
 好きだと言ってもらえたし、名前で呼んで貰う約束までできた。
 初デートとしては上々かもしれない。(予定ではもうちょっといろいろしたい気持ちもあったのだけど)

 しかし、思い出のワンシーンに嫌でもフレームインしてくる無駄に顔と声がいいデカい図体の男×2を、脳内記憶からどうしても抹消できない。
 特に最後は「強奪」とでも言うべき強引さで、ろくに別れを惜しむこともできずに連れさらわれてしまった。(しかも4時半に)
 永遠子の門限をあらかじめ聞いておかなかったのはリサーチ不足だった。
 でもまさか、小学生じゃあるまいし5時に門限だなんて普通想像しないだろう。
 そうと知っていればもっと早く待ち合わせたのに。

 稔はふつふつと苛立ちを燻らせながら登校し、自分の席についた。
 そのため、後ろからぽんと肩を叩かれて振り向いた瞬間、目に飛び込んできたヤツの笑顔に一瞬猫がはがれそうになったのも無理はなかった。

「おはよー王子!さすが昨日の今日で不機嫌だねー。ちょっと猫がはがれてません?大丈夫?みんな見てるよ?」

 稔は真顔で一瞥するとすぐさまいつもの爽やか笑顔を見せた。

「おはよう、度会。別に機嫌は悪くないよ。でも心配してくれてありがとう」

 その言葉の裏には

「てめえ、俺が機嫌悪いの分かってるならいちいち声かけてくんなよ、うざいな消えろ」

 という気持ちがこめられており、ワタルももちろんそれには気づいていたのだけれど、最近は稔の本性にすっかり慣れてしまったワタルは、態度を改めるどころかなおさら身を乗り出す勢いで目を輝かせた。

「まあまあ、気持ちは分かりますよ。せっかくの初デートにあんなでっかいコブつきじゃねえ、誰でも不機嫌になりますって」

「は?」

「あの子にお兄さんがいることも、お兄さんがシスコンの可能性があることも調査済みだったけどさ、
まっさかあそこまで異常なシスコンとはねー、いやあびっくりびっくり」

 ワタルが言葉を言い切る前に、稔はにこやかに微笑みながら右手でワタルの肩を掴んだ。
 傍目からは楽しそうに談笑しているようにしか見えないが、ワタルの顔が若干引きつり、右半身をこわばらせていた。

「王子……?ちょ、なんかすげえ痛いんですけど?」
「いろいろとツッコミどころが満載だけど、とりあえず一つだけ聞いておく。お前、なんで知ってるんだ?」
「えっと……何を?」
「お前、昨日どこで見てたんだ?」
「どこでって……結構近くにいたんだけど。たまたま札駅行ったら、たまたま王子たちがいたんでびっくりしたよ……て痛いって!!」
「嘘をつくなよ?いつから見てた?どこまで見てた?」
「ええっと、なんというか、王子が浮かれながら家から出て行くところから、王子が呆然と家に入っていくところまで」
「つまり最初から最後までってことだな?」
「あぁ…うーんと、そうとも言う」

 稔は右肩を離すと素早くワタルの右足を踏みつけた。

「痛い!ごめん!悪かったって!ほら王子、そんな恐い顔してると周りの奴らに気づかれるよ?」
「大丈夫だよ。端から見たら王子様と腰巾着が仲良くおしゃべりしているようにしか見えないから。
よかったよ、お前がみんなから”腰巾着”と認識されていて。おかげで怪しまれることなくいたぶれるもんな」
「王子!キャラ変わってる!!その笑顔恐いから!」
「機嫌が悪い俺をさらに不機嫌にさせたお前が悪い」
「ごご、ごめんって!あの子のお兄さんたちの情報やるから許して!!」

 稔は静かに踏みつけていた足をはずした。
 ほっと安堵の表情を見せたワタルに、稔は極悪の笑顔を見せた。

「一から十まできっちり話してもらうからな」
「……分かったよ。とりあえず、もうすぐHRはじまるから、昼休みに」

 稔はこくりとうなづくと、何事もなかったかのように体を前に戻した。

 *

「ほら、早く吐けよ」

 昼休みの自習室。いつもは永遠子と二人きりの教室も、男2人でいると違った景色に見えてくる。
 稔は適当に選んだ席に足を組んで座った。ワタルは多少萎縮気味に稔の近くの席に腰を下ろした。

「王子って蝋人形ちゃんの前だといつもそんな感じなわけ?蝋人形ちゃんってM?」
「永遠子ちゃんの前でこんな態度とるわけないだろ!」
「だって蝋人形ちゃんの前でも猫かぶってないって……」
「別に俺の本性はSじゃないから。好きな子いじめて喜ぶほど歪んじゃいない」
「じゃ、なんで俺のことはいじめるんだよ!」
「お前のことが好きじゃない」
「ひどい!」
「て言うか、いじめられてるのはむしろ俺の方だろう!勝手に人のデートのぞき見しやがって!
そもそもお前なんで俺んち知ってるんだよ!高校の知り合いには誰にも教えてないはずだぞ」
「いやいや、俺の情報網をなめてもらっちゃいけませんよ。この学校の生徒、教師で住所を知らない人間はいませんからね」
「お前、いつか捕まるぞ」
「大丈夫、合法的な方法しか使用していないから」
「ストーカーは合法だったのか。初めて知った」
「ストーカーは被害届があって初めて成り立つ犯罪だからね」
「じゃあ俺が被害届を出してやろうか?」
「まあまあ、蝋人形ちゃんの情報欲しいんでしょ?」

 稔はしたたかにワタルの頭をはたいた。

「何、立場逆転させようとしてんだよ。俺がお前を許す代わりにお前が俺に情報をよこすんだろ」
「はいはい、分かってますよ。んじゃ、とりあえずプロフィールからいってみようか」

 ワタルはポケットから手帳を取り出して付箋のついたページを開いた。

「佐倉永、佐倉久。国立H大法学部に通う大学2年生、現在19歳。
小さい頃から剣道、柔道、合気道、少林寺拳法、空手と一通りの武道を嗜んでいるみたいだね。
永の方は高校の時、柔道で全道大会優勝、久は空手で全道大会優勝。ただ、なぜか2人とも全国大会は辞退している。
H大に現役合格しているだけあって、成績も小学校時代から常にトップ。2人とも公立一高出身で、本州のT大やK大も合格確実だと言われていたにもかかわらず、なぜか道内のH大だけを受験。
容姿端麗、質実剛健。硬派な男前で女子からの人気は王子にも引けをとらないほどみたいだけど、なぜか今まで一人も彼女はいない。そのせいで一時期『女に興味がないのでは?』という噂が流れて、そっちの趣味の男につきまとわれそうになったことがあったらしいけど、歯牙にもかけなかったとか。
まあ、変な意味じゃなく、女以上に男から人気がある人たちみたいだね。
ちょっと話を聞いてみただけで、尊敬というか信望というか、そういう熱い想いがたくさん伝わってきたよ。中には友情を通り越してファン、ファンを通り越して信者とでも呼べそうなヤツらもいたよ」

「昨日のあいつらの様子からは想像もつかないんだけど」

 稔のつぶやきに、ワタルは手帳から顔を上げて苦笑した。

「まあね。俺もこっちの噂を先に聞いてたから正直驚いたよ。いくらシスコンでもほどがあるよな」
「そう言えば、さっき『シスコンの可能性があると思ってた』とかなんとか言ってたけど、どういうことだ?
永遠子ちゃんは兄貴たちを『ブラコン』だって言ってたんだけど」
「ブラコン?ああ、なるほどね」
「なるほど?」
「いや、なんで俺がシスコンの可能性があるかと思ったかと言うと、調査をしていてすごく不自然な回答が返ってきたからなんだよ」
「不自然って?」
「出身中学、高校、大学の人を中心に聞き込みをしてみたんだけどさ、誰も知らなかったんだよね。
蝋人形ちゃんの存在を」
「え?」
「みんな、彼らに妹がいることを知らなかったんだ。不自然だろ?お兄さんたちは地元の公立中学で、蝋人形ちゃんは私立の女子中に通ってたらしいから中には知らない人間がいてもおかしくないけど、中学から現在まで8年間、一度も家族の話題が出ないなんてことはないだろう。意図的に隠していたとしか思えない」
「確かに」
「隠した理由は可能性としては2つあると思う。
一つは蝋人形ちゃんを家族と認めたくないほど憎んでいるという可能性。関心がない程度だったらあえて隠す必要はないから、存在を抹消したいくらい嫌っている。
もう一つは、逆に他の人間に存在を知られたくないくらい過保護に溺愛しているという可能性。特に男なんて『妹がいる』なんて聞いたら『じゃあ紹介して』とか気軽に言ったりするから、それが嫌だったと考えられる」

 確かに、稔が「姉がいる」と言えば、5人に4人が「紹介して」と言ってくる。

「どちらかと言えば後者の可能性の方が高いと思った。だから小学校時代の知り合いまで手を伸ばしてみたんだ。そしたら、一人いたんだよ、蝋人形ちゃんのことを覚えていたヤツが。そいつはこう言ったんだ。
『永と久が、小さい女の子をものすごく可愛がっているのを見たことがある。どこの誰かは知らないけど』って。
それを聞いて俺はシスコンの可能性が高いって思ったんだ。
蝋人形ちゃんがお兄さんたちを『ブラコン』だと思っていたという話も、ある意味納得いくんだ。
だって、調査に協力してくれた人たちはみんな口をそろえて言ったからね。
『2人は仲がいい。あの2人の間には誰も入ることはできない』って。
昨日の様子を見るかぎり、お兄さんたちは蝋人形ちゃんが絡んできたときだけ仲違いしてるんじゃない?
そうやって考えてみると、お兄さんたちが高校時代全国大会に行かなかったのも、本州の大学を受験しなかったのも、全部蝋人形ちゃんのせいかもしれないね。
うわぉ!王子ってば超強敵出現じゃん!まいっちゃうね♪」
「お前、楽しんでるだろ?」
「いやいや、そんなことありませんよ!第一、家族がどんだけ反対しようと、結局最終的には本人達の気持ち次第なわけだし」
「まあ、それはそうなんだけど……」

 永遠子は自分を好きでいてくれている。
 それはつい最近のすれ違い事件のときに十分感じることができた。
 その気持ちは疑っていない。
 しかし。
 いくら本人次第とはいっても、あの調子では毎回デートを邪魔しに来かねない。
 多少の妨害程度でくじけるつもりはないけれど、相手が”多少”の程度を越えてきたとしたら自分がどうなってしまうのか、稔には想像することができなかった。

「はあ」

 浮かない顔でため息をつく稔に、ワタルは脳天気な顔でぽんぽんと肩を叩いた。

「まあまあ、そんな暗い顔しないで。俺もできるかぎり協力するから」
「協力?」
「おう!まかせてよ!」

 力強くうなづくワタルに稔が笑顔になった瞬間、ワタルは目を輝かせながらこう言った。

「その代わり、今度のデートもこっそりのぞかせて」
「誰が頼るか馬鹿野郎!!!」

 *

 ワタルという協力者を得た(押しつけられた)稔。
 一方そのころ、永久兄弟も稔の情報収集に着手し始めていた。
 こうして、情報戦の火蓋が切って下ろされた。