12: 佐倉家の朝



 日曜日。朝10時。

「永遠子ちゃん……本当にその服でいいの?」
「ううん。おかしくないわよ。とっても可愛い」
「そうね。楽しんでらっしゃい」
「門限は5時よ。それ過ぎるとお父さんを誤魔化せないから気をつけてね」
「いってらっしゃい」

 玄関先で、こんな声が響いていたちょうどその時、佐倉家の長男および次男、佐倉永、佐倉久は1分1秒の誤差もなく、まったく同時に目を覚ました。

 *

「あら、おはよう、お寝坊さん。昨日は遅かったものね」

 リビングに入ってきた永久兄弟に、母は優しくおだやかに声をかけた。それに答える兄弟の第一声は「「永遠子は?」」だった。

「もう!『おはよう』が先でしょ!永遠子永遠子って、うちの男性陣は!」

 腰に手をやって心持ち背伸びをしながら上目遣いに睨み付ける母親に、双子は一瞬ひるむと大人しく「「おはようございます」」と声をそろえる。
 そして母親が満足げに微笑むと、2人は再び「「永遠子は?」」と問いかけた。
 母親は呆れの混じった顔で2人を一瞥するとふぅとため息をついた。

「永遠子ちゃんなら、たった今出かけたわよ」

「どこに!」
「誰と!」
「「何をしに!!」」

 2つの巨体にすさまじい勢いで詰め寄られても、母親はまったく動じる気配も見せずににっこり微笑んだ。

「札幌駅に、同じ高校の六原さんって子と、映画を観に行ったわよ」

 母親の言葉に、一人は顔を蒼白させ、もう一人は真っ赤になって、各々頭を抱えた。

「札幌駅まで一人で!!」
「ダメだ!痴漢に襲ってくださいと言っているようなものじゃないか!」
「大体、誰だ、六原って!知らないぞ!」
「ちゃんとした友達なのか!?不良じゃないのか?!」

 普段は硬派で冷静沈着、一部では「修験僧」や「侍」などと呼ばれている彼らであるが、この世にただ一つ、彼らから理性も冷静さも奪う存在があった。
 ここまでの反応でみなさんお察しでしょう。
 そう、2人の妹、佐倉永遠子である。
 彼らが心から泣くのも笑うのも怒るのも焦るのも苛立つのも、すべて永遠子が絡むときだけ。
 彼らは家の外では永遠子の存在を隠しているので、彼らがこれほどまでに感情をあらわにしているところを見た人間はほとんどいない。もし普段の彼らしか知らない人間が今の彼らを目にしたら、呆れやドン引きを通り越して恐怖心を抱くであろう。
 しかし、10年以上3人の様子を見守って来た母は2人の慌てぶりにもどこ吹く風、のほほんと微笑みながらキッチンに向かう。

「大丈夫よ〜。札幌駅まで30分とかからないもの。六原さんも、永遠子ちゃんの話では『綺麗で優しくて楽しい』子らしいから。心配いらないわよ」

「30分もかかるじゃないか!その間に一体何人の男が永遠子を見ると思うんだ!」
「だいたい、母さんはその六原って子に会ったことがあるのか!」

 2人は母親の後ろをキッチンまでついてきて力一杯主張する。
 母親は皿にのった朝ご飯のスクランブルエッグをつめよる息子たちの手に押しつけた。

「2人とも、少しは永遠子ちゃんを信頼しなさい。もう小さな子どもじゃないんだから、電車くらい一人で乗れるし、交友関係にあなたたちが口を出すんじゃありません」

 きっと睨み付けるその顔は幼い少女のようでまったく恐くない。

「いやしかし……」
「信頼していないわけではないけど……」

 皿を見つめてつぶやく巨体2つに、小柄な母は背を向けると
「パンはトーストでいいわよね」
 などと何事もなかったかのように確認する。

「服……」
「そうだ、母さん、服は!?永遠子は何を着ていった?俺が先週買ってやった水色のワンピースか?」
「いや、俺が買ったオレンジのワンピースだろう!永遠子は気に入ったって言ってた!」
「あれは社交辞令だ!絶対俺の方を気に入ってた!目が少し輝いてた!」
「嘘付け!久の水色のヤツはスカート丈が短すぎて下品だ!」
「それを言うなら永のオレンジのは胸元が開きすぎてたぞ!」
「久のだって大して変わらないだろ!だいたい永遠子に寒色の服だなんてセンスを疑う!」
「永のオレンジはセンスがいいって言うのかよ!真夏にあんな暑っ苦しい色なんて嫌がらせか?」
「永遠子には明るい色の方が似合うだろうが!」
「爽やかで涼しげな色の方が似合う!」
「じゃあ、先月買ったピンクのTシャツはなんなんだ!」
「永こそグレーのカーディガンなんか買ってたじゃないか!」

 チン

 今にも殴り合いが始まろうかという緊迫した空気の中、間の抜けた音がキッチンに響いた。
 焼き上がったトーストを皿に盛りつけた母は、2人の空いている手にトーストを渡した。

「永遠子ちゃんはわたしが通販で買った服を着ていきました」

 2人は行き場を失った感情を腹に収め、再び両手の皿に目を落とした。

「そう言えば待ち合わせは11時って言っていたけど、1時間も前に家を出るなんてよっぽど楽しみだったのねぇ」

 母の何気ない独り言に、2人はそろって顔をあげた。

「待ち合わせ時間に相手の子が遅れたりしたら……」
「人通りの多い札幌駅に30分以上一人きり……」
「あの小さくて可愛くてスタイルもよくて庇護欲をそそる永遠子がたった一人……」

 しばしの沈黙のすえ、2人は同時に「あーーーーーーーーーーーーーーーーー!」と絶叫した。

「ダメだ、キケンすぎる!!世の男が放っておくわけがない!」
「無防備で優しい永遠子のことだ、強引に迫られたら断れるわけがない!」

 2人は我先にとキッチンを飛び出すと、食卓に乱暴に皿を置いた。

「札幌駅のどこで待ち合わせだ!」
「映画に行くならJRタワーだろう!」
「だとしたら白のオブジェか赤のオブジェのどっちかだな!」

「「母さん、どっちって言ってた?!」」

 2人はぴったりそろった動きでキッチンを振り返ると、異口同音に叫んだ。

「さぁ……白って言ってたかしらねぇ」

 母親の声はいたってのんびりとしていた。
 2人は母との温度差など物ともせずに、リビングのドアに向かって走り出した。

「こら!永くん、久くん!!朝ご飯は?」

「「いらない」」

 2人は走りながらそう叫ぶと自室に飛び込み財布を掴むと同時に部屋を出ようとした。

 身長180cm、一目で「格闘技やってます」と見て取れる巨体な2人は当然ながら同時にはドアから出られない。

「久!邪魔だ、どけ!」
「永こそ邪魔だ!引け!」
「嫌だ!永遠子が俺を待っている!」
「永遠子が待っているのは俺だ!俺が先に行く!」
「先に行くのは俺だ!」
「殴り飛ばすぞ!こうしている間に永遠子がどこの馬の骨に目をつけられているか!」
「そう思うならお前がどけ!」

 *

 佐倉永、および佐倉久。
 非常によく似たこの双子。
 幼い頃から食べ物、おもちゃ、色、動物、タイプ……何から何までことごとく好みがかぶっている。
 その佐倉兄弟がこの世で一番好きなもの。
 佐倉永遠子。

 一刻を争うときでも相手を出し抜きたい。
 息がぴったりすぎる双子の兄弟が二人そろって家を飛び出していったのは、それから10分後のことだったとか。