11: 前夜の選択



 七月第二土曜、深夜。佐倉永遠子は悩んでいた。
 初めての恋人――それ以前の問題として、初めて社交辞令以上の会話が成立している相手、六原稔と、互いの認識の違いからすれ違っていた数日間も悩みに悩んでいたのだが、今回はもっと贅沢な悩みを抱えていた。

 ベッドの上に散らばる、服、服、服――。

 無事誤解が解けたその日に、永遠子は稔に日曜――つまり明日、約束していた映画に行こうと誘われたのだ。
 初めてのデート――それ以前の問題として、永遠子にとっては身内以外の人間と外出すること自体が初めての体験である。
 今日一日、楽しみすぎて体がふわふわと浮き上がり頭はぼうっと熱くなり、何もせぬまま過ぎ去ってしまったが、夜11時をすぎた頃、ふと重要なことに気づいたのだ。

 初デートには何を着ていけばよいのか。

 永遠子はクローゼットにある服を夏服から冬服まですべてベッドに並べた。
 少女漫画の定番では、やはり可愛いワンピース。
 幸い永遠子は家族の趣味でその手の服を大量に買い与えられていた。
 いままでの永遠子であれば、悩むことなくそれらのうちお気に入りの一着を着て出かけただろう。
 しかし、

 ――永遠子ちゃん。本や漫画の中の出来事を鵜呑みにしちゃいけないよ。

 稔に言われたこの言葉。
 この言葉に従うならば、少女漫画セオリー通りのワンピースは完全にアウトということになる。
 少女漫画を参考にできないとなると永遠子はお手上げだった。
 相談できる女友達など皆無であり、その手のティーンズ雑誌も1冊も持っていない。

 ――スカートじゃないほうがいいのでしょうか?ジーンズ?ショートパンツ?
 もういっそのこと浴衣とかを着ていけばいいのでしょうか?
 いや、もしかして「夏だから!」なんてこだわらず、北海道人ならば夏でもセーターを着ていくべき?

 そんな(見当違いな)ことを悶々と考え続けていたため、トントン、とドアをノックする音がするまで、永遠子は日付が変わっていることにも気づいていなかった。

「永遠子ちゃん?もう12時すぎたけど、まだお勉強頑張ってるの?あら……」

 ドアからのぞいた年齢不詳の小柄な女性――永遠子の母親はドアの隙間から見えたベッドの上に散乱した服の数々に気づくと、にこぉとあどけない笑顔を見せ、そそくさと部屋の中に体をすべりこませて後ろ手にドアをそっと閉じた。

「お勉強してるのかと思ったらファッションショー?もしかして明日はデート?」

 デート。
 慣れない言葉に永遠子は顔を真っ赤にさせ(たつもりで)目をわずかに泳がせ、静かにこくんとうなずいた。

「あらぁ!なあに、本当に!きゃぁ!」

 母は、本当にお前は何歳なんだ!?という乙女ちっくなそぶりで感嘆の声を上げると、ベッドの上の服をまとめて枕の方へ放り投げ、永遠子を引っ張って2人そろってベッドに腰掛けた。

「どんな子?どんな子?」

 母は子どものように目をきらきらした問いかける。永遠子は相変わらずの無表情でそんな母を見返した。

「綺麗で、優しくて、楽しくて……まっすぐな人です」
「同じ学校?学年は?」
「同じ学校で、学年も一緒です。クラスは別ですけど」
「名前は?」
「六原、稔さんです」
「りくはら……てどんな字?」
「漢数字の六に、原っぱの原です」
「その、六原稔くん?が最近永遠子ちゃんが元気がなかった原因なの?」
「え……」

 驚いて、目を丸くした(つもりの)永遠子に、母は「ふふふ」と可愛らしく微笑む。

「気づいてないと思った?気づくわよ。家族だもの」
「………すみません」
「いいの。その様子じゃ、仲直りしたんだ?」
「はい」
「で、早速デートに誘われた、と」
「はい」
「どこに行くの?」
「映画……『なみだ色』を」
「それって永遠子ちゃんが好きな本が原作の!?」
「はい」
「きゃ〜!」

 母は目をきらきらと輝かせると、冬のオホーツクの流氷さえも溶かすような満面の笑みをみせた。

「素敵!ちゃんと永遠子ちゃんの好きなものをリサーチして選んでくれたんだ!いい子ねぇ。
その子、きっと永遠子ちゃんのことが大好きなのね」
「え……あ………はい。そう言ってくれました」

 恥ずかしそうに小声でささやいた永遠子のいじらしい様子に、母は楽しくて仕方がないとばかりにヒートアップする。

「稔くんは、ちゃんと言葉で愛情を示してくれる子なのね?」
「……はい。ちょっと、恥ずかしいんですけど……」
「やだ!最近はクールな子が流行ってるらしいけど、言わないよりは言ってくれる子の方がいいわよ、絶対!私なんかプロポーズの瞬間まで『好き』どころか、女だと思われているかどうかすら怪しかったんだから。不安で不安で仕方なかったわ」
「はい。……あの、お母さん」
「なあに?」

 永遠子は真っ直ぐな瞳で母を見つめた。そして母も穏やかな微笑みを返した。

「お母さんは、初デートのとき、どんな服を着て行きましたか?」
「初デート?」

 永遠子がこくんとうなずくと、母は困ったようにわずかに眉を下げて微笑んだ。

「ごめんなさい。私、デートってしたことないの」
「え?」
「ないの。1回も」
「お父さんとはお見合い結婚ではありませんでしたよね?」
「うん。高校の先輩と後輩よ」
「デートしなかったんですか?」
「そう、しなかったの。しょっちゅう呼び出されはしてたけど。雑用を手伝えだとか勉強を見てやるだとか……とてもデートと呼べるようなものではなかったなぁ……。イベント事はオールスルーだったし」
「……付き合っていたんですよね?」
「……さぁ……付き合ってたのかなぁ?気づいたら婚姻届にサインして結婚してたわ。まあ、一言で言うならあれよ。騙されたの」

 言葉とは裏腹に、幸せそうに微笑む母。幸せのあり方は人それぞれらしい。

「お父さんらしいですね」
「お父さんらしいでしょ」

 深夜、ベッドの上に横並びに座ってしみじみと語る母娘。
 どのへんが「らしい」のかはあまり詳しくは知りたくないけれど、佐倉家では「らしい」で済まされてしまうことのようだ。

「そういうわけだから、私はあんまり参考にならないかな」
「せめてアドバイスを……」

 すがるような声で見上げてくる娘に、母はにっこり微笑んでさっと立ち上がるとふわっと頭をなでた。

「永遠子ちゃんが一生懸命選んだ服だったら、何を着ていっても喜んでくれるよ」
「そうでしょうか……」
「そうよ。稔くんは永遠子ちゃんが大好きなんでしょ?」
「………」

 再び恥ずかしそうにうつむく永遠子に、母はたまらないといった様子で頭を自分の胸に抱き込んだ。

「可愛い!もう!永遠子ちゃん可愛いわー!」
「お、お母さん」
「あ、そうだ!稔くんは嫉妬深い方?」

 母は永遠子を胸から離すと真剣なまなざしで永遠子をのぞきこんだ。

「嫉妬ですか?」
「独り占めしたい!とか、他の男と話すな!とか言われたことは?」
「………言われた、かもしれません。1度」
「だったら」

 母はもう一度永遠子の頭を優しくなでると、枕元に追いやられていた服のうち何枚かを取り上げると、床にぽんと投げ捨てた。

「このミニスカートとショートパンツはやめておいた方がいいかもしれない。永遠子ちゃんはスタイルもいいからすごく似合って可愛いけど、外デートのときは似合いすぎる服も考え物よ」

 そう言うと母は振り返ってウインクをした。

「余計な人間まで悩殺しないように、過度な露出は禁物。覚えておくといいわよ」

 永遠子は母の言葉にうんうんとバカ真面目に何度もうなずいてみせた。
 母は満足げに微笑むと、「じゃあ、あまり遅くならないようにね」と声をかけると静かに部屋を出て行った。

 *

 デート前夜。
 母親の適切だけれども、永遠子個人にとっては必要以上に適切すぎたアドバイスに従い永遠子が選んだ服に、稔がどんな反応をみせるかは――明日までのお楽しみ。