ホワイトデー小話:「等価交換」当日編


「さて、お望みは何ですか?」

ホワイトデー当日、いつものように自習室に集まった2人は互いに挨拶をしあい軽い雑談をすませると、最後列の机に腰かけた稔が永遠子に向かってうやうやしく問いかけた。

「六原さんからどうぞ」
「いや、ここはレディーファーストで」

爽やかに微笑む稔に永遠子は黙り込む。
一緒にいられるだけで十分幸せな永遠子にとって「してほしいこと」というのは実はあまりないのだけれど、何日かいろいろと考えて一つだけ思いついたお願いがあった。
永遠子は笑顔で永遠子の言葉を待っている稔をそっと上目遣いで伺い見る。

――は、恥ずかしい!

永遠子は熱く火照る頬に手をやると、消え入るような声で
「やっぱり、六原さんがさきに……お願いします」と頭を下げた。
稔は「いいの?」と問いかける。永遠子は大きく頷いた。
「そっか」
稔はそうつぶやくと、にこっと笑って手招きをした。
永遠子がおそるおそる近寄ると、稔は永遠子の体をぐっと引き寄せて座っている自分の足の間に永遠子の体をすべりこませ、腰に手を回して彼女を閉じこめた。
そして、少し見上げる角度で永遠子を見つめると甘えるような笑みを浮かべた。

「キスして」

稔の顔に見とれていた永遠子は一瞬何を言われたのか分からず「え?」と言って首をかしげた。稔は永遠子の様子などものともせず相変わらずにこにこ笑っている。

「そういえば今まで一度も永遠子ちゃんの方からキスされたことないな〜と思って。だから今日は永遠子ちゃんの方からして?」

「えぇ!」

永遠子は咄嗟に身を引こうとしたけれど、腰には稔の腕がしっかり回っているので逃げ出すことはできなかった。

「へ、変なお願いはしないって言ったじゃないですか!」
「別に変なお願いじゃないだろ。もう付き合って8ヶ月だよ?キスだってもう何回もしてるじゃん。それともこの前言ったみたいなもっと過激なお願いに変えようか?うーん、でもさすがにここじゃまずいから場所をかえないとダメかなぁ……。永遠子ちゃん、どこか誰にも邪魔されない鍵がかかる密室の場所知ってる?」
「ききキスでいいです!」
「あ、ホント?じゃ、お願い」

そう言って笑う顔は憎々しいほど爽やかで。

永遠子はこっそり深呼吸をすると意を決して稔の肩に両手を置いた。
自分のバクバクする心臓の音を気にしながらゆっくり顔を近づける。
目に映る稔の顔は、何度見ても舞い上がるほど美しくて――。

永遠子は稔の唇に触れる寸前で首の角度を軌道修正させ、唇から2cmほど左にさっと口づけた。
使命を果たしてほっとした永遠子は唇をはなして小さく息をつこうとした。
しかし、そんなおままごとのようなキスで稔が満足するわけもなく。

稔は永遠子の唇が離れると同時に右手で永遠子の頭に手を回して強引に唇を重ね合わせた。
「――っあ」
抗議の声か、息を吸おうとする音か、その両方か――いづれか分からぬ音が永遠子の口から漏れたけれど、稔は気にすることなく角度を変えながらいつにない執拗さで永遠子を攻め立てる。
「…ゃ…」
抗議の声は完全に無視されて、腰と頭に回された手にはより力が加わる。
「まっ……て……息…」
恋愛初心者の永遠子はいまだキスの合間の息継ぎが下手ですぐに酸欠になってしまう。
もちろん稔はそのことを知っている。
しかし、いつもは聞いてくれるはずの制止の言葉にも、今日の稔は止まってくれない。
それどころか、わずかに開いた永遠子の唇に舌を割り込んできた。
これには永遠子も驚いて、「うー」と声にならない抗議の声を上げたが、稔はそれさえ楽しむようにゆっくり歯列をなぞって舌を絡めようとする。

――もう、無理……。

その瞬間、永遠子の体から力が抜けた。

「おっと」

咄嗟に唇を離した稔が床に崩れていく永遠子の腰を両手で支えた。

「大丈夫?」

酸欠状態から解放されて必死で息を吸いながら、永遠子は稔をきっと睨み付けた(つもりだった)

「――ひどいです」

永遠子の言葉に、稔は悪びれもせず「何が?」と問い返す。

「何って……お願いは一つじゃなかったんですか!わたし、ちゃんとキスしたのに!」

稔は「心外だ」とでも言うかのように眉をひそめた。

「それを言うならひどいのは永遠子ちゃんだろ」
「なぜ!?」
「”ちゃんと”キスしてくれなかったじゃん」
「……し、しましたよ!」
「あれが永遠子ちゃんの”ちゃんと”だとしたら、いつも俺がしてるキスは何?異常行為?さっきのキスだと変態行為とかになっちゃうわけ?」

思わずひるんだ永遠子に稔はさらにたたみかけるように言葉を続ける。

「発注と違うものを配達したら、苦情を言われても文句は言えないだろ?
俺が要求したのは『永遠子ちゃんからのキス』。
それがもらえないのなら、それと同じ価値のもので弁償してもらわないと」
「……あれが、同じ価値、なんですか?」
「そ、等価交換」

そう言って稔はにっこり微笑んだ。

何やらうまいこと言いくるめられたような気がする永遠子だけれど、稔のこの笑顔が見れるのならば、多少の酸欠くらいは仕方がないのかもしれない――。

つまりは、これも永遠子にとっての「等価交換」なのだから。



++おまけ++

「……で、永遠子ちゃんのお願いは、本当にこんなのでいいの?」

少し離れた位置からまじまじと稔を見つめる――というより観察している永遠子に向かって、稔は何やら落ち着かない様子で問いかけた。

「はい。大満足です」
「いや……永遠子ちゃんがいいならいいけど……」

稔はずり落ちてきた黒いフレーム眼鏡を左手の人差し指と中指で押し上げた。
その仕草に永遠子が「ふぅ」と嘆息する。

永遠子のお願い。それは――「眼鏡をかけてみてほしい」。

稔が要求したお願いと比べると、申し訳なくて土下座したくなるくらいささやかなお願いだった。

――どう考えたってお釣りがくるよな……

そう思うけれど、稔を見つめる永遠子はどことなく楽しそうで……。

正直、何が楽しいのかさっぱり分からないけれど、永遠子が楽しいならダテ眼鏡でも買おうかな。

そんな計画を立て始める稔であった。




「報われない王子様をたまには救済しよう企画」
王子、ちょっとは報われましたでしょうか?
とりあえずこのカップルは第三者の介入さえなければ何の問題もない仲良しバカップルです。
本編ではなんだか常に不憫な王子ですけど、見えないところではちゃんと仲良くやっていますのでご安心下さい。