本編(第2部現在)より少し先の未来の話です
まだ本編に書かれていない部分が含まれていますのでご注意下さい
バレンタイン小話:六原家とチョコクッキー 2月13日 大学入試二次試験を間近にひかえ、受験勉強に勤しんでいた好は息抜きがてら、ホットココアでも入れようかとキッチンにやってきた。 そこで見たのは、たった今焼き上がったチョコレートクッキーを嬉しそうに見つめている弟の姿だった。 「何それ」 「あ、姉さん。チョコレートクッキー。意外と簡単だな、お菓子作りって」 「ふーん」 好は皿に移し分けてあるクッキーを一枚つまむと口に放り込んだ。 「あら」 「どう?」 「……悔しい」 「何その感想」 「いや、美味しい。甘さ控えめで」 姉の答えに稔は満足げに微笑んだ。 「永遠子ちゃんは甘いもの、あんまり好きじゃないみたいだから、甘さ控えめにビターチョコを使ってみたんだ」 「永遠子ちゃんに?明日誕生日か何かなの?」 稔は「うわー」とつぶやくと白い目で姉を見つめた。 「バレンタイン」 「バレンタイン?ああ……そう言えば明日か。今流行りの『逆チョコ』ってヤツか」 「いくら受験生とはいえ、姉さんって本当女として終わってると思うよ」 「うるさいわね!わたしはバレンタインなんて胸焼けの思い出しかないのよ!」 「ああ、そう言えば中3の時、部活の後輩にもらったチョコ……何個だっけ?30個?」 「35個よ」 「俺の最高記録より多いし」 「あれはまだよかった。持って帰って家族に分配できたから。 最悪だったのは去年よ。うちのクラスのあの盛り上がりは異常だったわ。 昼休み、突如開催されたチョコパーティー……いや、あれはチョコレート菓子物産展だったわ。女子20人による手の込んだチョコ菓子の数々。持ち込まれる他のクラスのチョコ菓子の数々。「食べて」「食べて」の応酬……。あの日はほんの数十分の間に少なくとも30個以上のチョコ菓子を食わされた。 しかも、次の時間はタイミングが悪いことに体育!しかもマット運動!おまけに倒立前転のテスト!胃からチョコレートが逆流するかと思ったわ!」 「……食わなきゃいいじゃん」 「食わないわけにいかないのよ!女子社会なめんな!平穏な学校生活を営むためには浮いたらお終いなのよ!」 「はぁ」 「て言うか、あんな美味しそうなチョコレートのにおいを嗅いで、食べずになんかいられるわけないでしょ!」 結局はただの自業自得のようである。 好も稔同様甘いものは大好きなのだ。 「それにしても最近のバレンタインもあれよね。『逆チョコ』やら『友チョコ』やら『自分チョコ』やら。お菓子業者の思惑に踊らされて。 あと知ってる?最近は『デコチョコ』とかいうのまで流行ってるんだって? チョコレートにポッキーだとか柿の種だとかグミだとかぶっさしてデコレーションしたチョコ!なんなのあれ!あんなのタダの自己満足じゃない!食べさせる相手じゃなくて、単に作ってる自分が楽しいだけでしょ?何のためのバレンタインよ。馬鹿じゃないの!」 「姉さんって、馬鹿にするわりにはすっげえ詳しいよな。俺、初めて聞いたけど『デコチョコ』なんて」 「現役女子高生なめんじゃないわよ。普通に学校生活送ってれば嫌でも耳に入るわ」 ――永遠子ちゃんは知らなさそうだな。 稔がそんなことを思って、ほんのわずかに目をはなした隙に、好は再びクッキーに手を伸ばした。 「あ!ちょ、姉さん!いくつ食べるんだよ!」 「いいじゃない。減るもんじゃないでしょ」 「減るもんだよ!思いっきり!」 「ケチ」 「もーー!姉さん、彼氏作れとは言わないけど、せめて俺の邪魔はするなよ!」 「はいはい、わっかりましたー。ココア作るからちょっと詰めて」 好は冷蔵庫から牛乳を取り出すと、稔に向かって手を払った。 稔がしぶしぶ体をシンク側に寄せると、好は横から顔を突き出し目でチョコクッキーの数を数えた。 「なんだよ」 「これ、全部あげるには多いんじゃない?」 「だから食わせろって?」 「いや、そうじゃなくて、余ったのでいいから何枚か貰ってっていい?」 ――貰ってっていい? 稔は姉の言葉に目を丸くした。 あの姉についにチョコをあげる相手が?! いや、しかし 「姉さん。俺が相手の男だったら、女の子の弟の手作りクッキーは貰っても嬉しくない。て言うか引く」 好は一瞬きょとんとした顔をすると、すぐさま顔をしかめた。 「バカ。男じゃないわよ。繭にあげるの。友チョコよ」 繭。 何度か会ったことがある好の親友の名前だった。 拍子抜けする気持ちと「やっぱりな」という気持ちで、稔は思わず苦笑する。 「繭さんね。そう言えば、最近どうなの繭さん。彼氏とは上手くいってるの?」 「いってるに決まってるでしょ。破局なんてわたしがさせないわよ。 あの子たちは、わたしが人生唯一『素敵だ』と思えた理想のカップルなんだから」 「えー?俺らは?俺らだって素敵カップルだろ」 「永遠子ちゃんはともかく、あんたがキモいからダメ」 「俺をキモいとか言うの姉さんだけだから」 「言わないだけで永遠子ちゃんだって思ってるわよ、きっと」 「永遠子ちゃんが俺を『キモい』って?」 「そうよ〜。なあに?ショック?」 好がにやにや笑いながら弟の顔をのぞきこむと、稔は一瞬遠い目をしたかと思うと、にへらとだらしなく微笑んだ。 「何笑ってんの、気持ち悪い」 「永遠子ちゃんが言えば『キモい』って言葉も可愛らしく聞こえそうだな〜って」 「キモ!!」 好は一歩後ろに後ずさった。 「そう言うところがキモいって言ってんのよ! もう永遠子ちゃんは一体コイツのどこがいいわけ? これは、あれね、是非とも実際に永遠子ちゃんに問いただすべきね! というわけで、明日、うちに永遠子ちゃんを連れてきなさい!」 「いやだ!なんで姉さんはそうやって何かというと永遠子ちゃんをうちに引っ張りこもうとするんだよ!」 「大丈夫、安心しろ!うちに連れてきてもあんたと2人っきりにはさせてやらないから!」 「俺にメリットなし!?」 「彼女が自分の家族と上手くやっていけるかどうかは重要なポイントでしょ。 わー、すっごいメリット!」 「なにその棒読み!」 「久しぶりに永遠子ちゃんに会わせてよ」 「いやだ!って言うか、姉さん勉強しろよ!受験生だろ!なんなの、余裕なの?自棄になってんの?受験ノイローゼ?」 「そう、ノイローゼ!永遠子ちゃんに会えば治る」 「治らねえよ!チョコわけてやらねえぞ!」 「あ、それは困る。じゃ、いいや。受験終わったら改めて場を設けてもらうから」 「俺はセッティングしないからな!」 「いいわよ。永遠子ちゃんに直接頼むから。メアドはGETしたし」 「いつの間に!!」 * 永遠子が六原家の敷居をまたぐことになるかどうかはまだ先の話。 さらに、好が持参した稔の手作りクッキーはとある男子生徒の口にも入ることになるのだけれど、それはまた別の話。 |