「キスの作法」






会話が途切れた一瞬の隙を狙って、稔は身を乗り出して永遠子の唇に己の唇を重ねた。
ゆっくり角度をかえながら口づけを深くすると、永遠子の小さな唇から「…ん」という甘い吐息がもれる。
もうかなりの回数を重ねているというのに、相変わらず初々しい反応を返す彼女がたまらなく愛しい。

放課後の自習室。
本来ならば勉学にはげむための場所で一体何にはげんでいるんだ、けしからん!
と思われるかもしれないが、そこはちょっと待ってあげてほしい。
稔も、どうせいちゃつくのなら安全な場所でたっぷりじっくり堪能したいと思っている。
何も、いつ誰に見つかるかも分からないスリルを味わいたいからわざわざ学校で…などと思っているわけでは決してない。
単にここ――生徒指導室横自習室が稔にとってもっとも安全な場所だったと言うだけの話なのだ。

学校から一歩出ると、そこはすでに危険地帯だ。
うっかり手でも握ろうもならどんな報復が待っているかも分からない。
学外で手をだそうと思えば、事前に綿密な下調べを重ねて、細心の注意を払って、絶対に邪魔されないと確信を得る必要がある。
それゆえ、自然、外では禁欲を強いられることになる。学内で多少たかがはずれても致し方ないというものである。

とは言え、さすがに学校でキス以上のことをするほど無謀ではない。
理性が残っているうちに、ゆっくりと唇を離した。

 

ついさっきまで熱い口づけを交わしていたとは思えないほど、何事もなかったかのように爽やかに微笑む稔を、永遠子は恨めしい思いで見つめかえした。
自分はまだ、心臓が破裂しそうなほどバクバクいっていると言うのに、何故稔はこんなにも余裕そうな顔ができるのか――。
経験値の差と言われてしまえばそれまでだけれど、なんとなく意味も分からずもやもやする。


「キス、好きなんですか?」


独り言かと惑うほど小さな声に、稔はわずかに目を見開くと可笑しそうに口許を綻ばした。


「そりゃ……好きだよ」


好きな子とするキスを好きじゃないと言う男がいたとしたら、そいつはちょっとどこかがおかしいはずだ。
そんなことを考えていると、永遠子がふっと目をそらした。


「……慣れてますよね」


そのぼそっとしたつぶやきの裏に潜んだ感情に気付いて、稔は思わず破顔した。上目づかいで稔の様子をうかがった永遠子は、稔の嬉しそうな笑顔にさらにもやもやをつのらせる。


「やきもち?」


からかうような稔の言葉に、永遠子は絶句した。
そして、己のもやもやの正体に気付くと、気恥ずかしさのあまりうつむいた。

稔はそんな永遠子を愛しそうに見つめると、両手で永遠子の両手をぎゅっと握って、優しい声で囁いた。


「俺が好きなのは、永遠子ちゃんとするキスだからね」


永遠子の肩がぴくんと動いた。


「誰でもいいわけじゃないよ。永遠子ちゃんとじゃないとダメ」


永遠子の顔がゆっくりと上がっていく。


「て言うか、今の俺にとってキスっ言えば、それはすなわち永遠子ちゃんとするキスのことだから」


永遠子と稔の視線が重なった。
稔はふわっと微笑むと、とろけるような甘い声で囁いた。


「永遠子ちゃんは、キス、嫌い?」


唐突な問いに永遠子は一瞬思考が停止する。そしてつぎの瞬間、さっきのキスの記憶が脳裏に浮かび、永遠子は顔を真っ赤にすると戸惑うように視線を巡らせた後、再びうつむいた。


「永遠子ちゃん?」


甘い呼び声に、永遠子はうつむいたまま小さな声で「いいえ」と答えた。

稔は嬉しさと愛しさと楽しさが混ざりあったような顔で微笑むと、両手で永遠子の頬を包み込んでしっかりと視線をあわせた。


「……キス、好き?」


蒸発してしまうのではないかと思うほど、永遠子の顔は熱く火照る。


「……こたえて?」


懇願と言う名の命令。
声も表情も、これ以上なく優しいのに有無を言わさぬ強制力がある。


「……す」

「す?」

「……す、き…です」


最後は消え入るような小声で言い切ると、稔は満足げに笑い、「よくできました」とでも言うかのように永遠子の頭を優しくなでると、もう一度触れるだけのキスをした。

覚悟していたよりもささやかすぎる接触に、永遠子は不思議そうに二度ほどまばたきをした。

そんな永遠子の様子に、稔は困った顔で微笑むと小さくため息をついて立ち上がった。


「帰ろう」
「……え?」
「これ以上一緒にいたら危ないから」


まだ意味が分からずきょとんとしている彼女に稔は苦笑すると、身を屈めて耳元で囁いた。

 


「可愛すぎて、襲いそう」



小話アンケートで見事1位を獲得しました王子様こと六原稔を救済しよう小話(長いタイトル)
書いてるうちに途中からやっぱり王子不憫路線に走りそうになるのを必死で抑えて、なんとか最後まで体裁を保ちました。

(2010.07.13)