2:対話の日々



「最近、よく会うね」
 いつものように生徒指導室横にある自習室に入ってきた佐倉永遠子に、六原稔が声をかけた。
「はい」

 実際、2人はあれ以来よく会っている。
 別に、約束しているわけではない。
 2人とも特別自分の行動を改めた覚えもない。
 ただ、あの日以来”気が向く”ことが以前よりも増えた。
 それが原因なのかもしれない。
 2人とも無意識だったのだけれども。

 稔はいつも、教室の中列あたりに座っている。窓際のこともあれば廊下側のこともあるし教室のど真ん中に座ることもあるけど、決まって列は中あたり。
 永遠子は、いつも一番後ろの列に座る。場所は決まって稔より斜め後ろになる位置。そこが稔の横顔を眺めるベストポジションだからだ。

 今日、稔は窓際の中列に座っていた。
 永遠子は後列の真ん中の椅子をひくとそこに腰を下ろした。
 そして、しばらく稔の涼しげな横顔をじっくり堪能すると、相変わらずの無表情で鞄から本を取り出し、読書をはじめた。

 永遠子は、いつも本を読んでいる。
 しかし、稔はいつも同じことをしているわけではない。
 永遠子と同じように本を読んでいることもあれば、携帯をいじっていることもあるし、音楽を聴いていたり、はたまた教科書を広げていることもある。
 今日は、イヤホンをしながら雑誌を眺めていた。

 2人の時は静かに流れていく。

「ねえ」
 永遠子が本から顔を上げると、稔はイヤホンを首にひっかけて、永遠子を振り返るように椅子に反対向きに座っていた。
「はい」
 永遠子はいつも、稔に話しかけられるとふわふわと体が浮くように心が舞い上がるのだけど、実際にはなんの感情もにじませずに無表情で返事をした。

「佐倉さんはなんでここに来んの?」
「人がいないからです」
「俺、いるけど」
「はい」
「俺は人にカウントされてないってこと?」
「いいえ」
「俺は特別?」
「はい」

 稔は驚いて目をわずかに広げたけれど、すぐに「ふーん」と面白そうにつぶやいた。

「人が嫌い?」
「いいえ」
「人が怖い?」
「いいえ」
「人が面倒くさい?」
「いいえ」
「じゃ、なんで人がいないとこがいいわけ?」

 永遠子は、じっと不思議そうな顔で見つめてくる稔の美しい顔に動揺して、真っ赤になって視線を机に落とした。自分では可憐に恥じらう乙女のつもりだった。稔の目には、質問を無視して読書に戻ろうとしているようにしか見えなかったのだが。

「六原さんは」
 稔が、返事を諦めて体を前に戻そうかと思ったその時、永遠子が声を発した。
「ん?」
「六原さんは私が嫌いですか?」
「は?」
 突然の問いに、眉間にしわをよせた稔の顔を見て、恥ずかしさと格好悪さで居たたまれなくなった永遠子は、慌てて「なんでもないです」と言って、再び本に目を落とした。

「や、ちょっとまて。別に嫌いじゃないけど」
 永遠子はその言葉に、すばやく顔を上げると驚きと嬉しさからまばたきを二度した。実際にはからくり人形がまばたきしたかのように機械的だったのだが。

「私が怖いですか?」
「や、別に」
「私が面倒くさくないですか?」
「全然」
「そうなんですか?」
「………」

 教室が一瞬しんと静まりかえった。

「え、もしかして、それが人がいないとこがいい理由?」
「はい」
「つまり、佐倉さんは、自分が人に嫌われてて怖がられてて面倒くさがられてると思ってたわけ?」
「はい」
「ぶっ」
 稔は下品に豪快に吹き出した。
 そして、また以前のようにひーひー言いながらお腹を抱えて笑い出した。
 永遠子は苦しそうに、でも楽しそうに笑い続ける稔を不思議な思いで見つめた。

「こらーーー!誰だ!自習室でふざけているのは!」

 隣の生徒指導室から怒鳴り声とともに教師が飛び込んできたのは、それから数分後のことだった。

 *

 前回同様、首をかしげながら教室を出て行く教師を似非爽やか笑顔で見送った稔は、改めて永遠子に向き直った。

「あんた、面白いね」
「面白いですか?」
「うん、めちゃくちゃ」
「六原さんの方が面白いですよ、めちゃくちゃ」
「へぇ……気が合うね」
「はい」

 稔がにこりと笑い、永遠子は無表情で見つめ返した。

 *

 習慣になりつつある2人のわずかな対話。
 今、2人の間にあるのは”好奇心”と”興味”。
 それが”恋心”に変わるには、もう少し必要なのかもしれない。ささやかな対話の日々が。