16: 嘘みたいな真実(2)



「まあ、とりあえず座ったらどうだ」

 直前に爆弾発言をしたとは思えない冷静さで、再び地面を指さす久の言葉を無視して、稔は強ばった面持ちで双子に一歩近寄った。

「血が繋がってないってどういうことですか?連れ子……とかそういうことですか?」

 兄弟は同時に首を横にふった。

「いや、連れ子ではない。言い方が悪かったな。永遠子は俺たちと血が繋がっていないんじゃない。
うちの家族の誰とも血が繋がっていない」
「永遠子は、うちの親父がある日突然、家に連れ帰ってきた子どもだ。あの子の本当の両親は俺たちも知らない」

 稔は、紡がれる言葉の意味を処理しきれず、しばらく考え込むように地面に視線を落とした。
 頭がついていけない。

「え……どういうことですか?」

 顔を上げた稔の顔は蒼白で困惑と混乱の色が混じっていた。
 兄弟は一瞬顔を見合わせると、「ふぅ」と軽く息を吐いた。

「話すと長くなるから、なるべく手短に話そう」

 そう前置きをして語られた真実は、稔にはとても衝撃的な内容だった――。

 *

「あれは俺らが5歳になる年だった。ある日突然、父が女の子を抱きかかえて帰ってきた。とても小さな女の子だった」
「俺らもまだ小さかったから、すべてをはっきり覚えているわけではないけれど、その子を見たときの衝撃は今も鮮明に覚えている」
「可愛かった……」
「もう、とにかく可愛かった……」
「俺はあの日、生ける天使に出会った!」
「つぶらな瞳、真っ黒で柔らかい髪の毛、白くて小さい手足……!」
「あれは神が生み出した最高にして最後の芸術品だ!」
「この世にこれほど可愛らしいものが存在するのかと、あれは人生初にして最大の驚きだった!」
「もうその可愛らしさと言ったら……」

「あ、あの!すみません!」

 興奮で顔が上気していた兄弟は、現実世界に引き戻されてそろってムっとした顔をした。

「「なんだ!?」」

「いえ……永遠子ちゃんが可愛いことは俺も十分よく知ってますから、とりあえずその辺ははしょって話を進めてもらえませんか?」

 兄弟は不満げな顔をしながらも、しぶしぶ話を続けることにした。

「まぁ、で父はそのとんでもなく可愛い子を母に手渡しながら俺らにこう言った。
『この子は永遠子。今日からお前たちの妹だから仲良くするように』」
「その時永遠子はすでに1歳だった」
「あの頃は血の繋がりだとか、そういった細かいことは気にならなかった」
「可愛い女の子が家族になった、その事実だけあれば十分だった」
「ただ……何度も周りの大人たちに『似てない兄妹だ』と言われているうちに、俺たちは血の繋がりを意識するようになった」
「そうなると、永遠子がどこの誰なのか気になってくる」
「あれは俺たちが8歳のときだった。母に永遠子はどこから来たのか聞いてみた」
「あの時の母の困った顔は今も忘れられない」
「しばらく悩んだすえに言った言葉は
『永くんと久くんがいい子にしてたから神様がプレゼントしてくれたのよ』というものだった」
「父にも同じ質問をしてみた。その答えは
『お前たちがもう少し大人になったら教えてやる』だった」
「永遠子にも教えるのか?と続けて尋ねたら、父はものすごく不機嫌そうな顔をして
『20歳をすぎるまでは知る必要のないことだ』と言い捨てて、この話は永遠子の前では絶対するなとすごまれた」
「だから、実は俺らも永遠子がどこの誰なのかはいまだに知らない」
「俺らなりに仮説を立ててみたりもしたが……そんなことはどうでもいいと今は思っている」
「母の答えは苦し紛れの言い訳だったのだろうけれど、あながち間違いではないからな」
「たしかに永遠子は俺らにとっては神がくれたプレゼントだった」

 脳裏に浮かべた永遠子の姿に、幸せそうな温かい微笑みを向ける兄弟。
 放っておけばこのまましばらく別の世界から帰ってこなさそうな2人を、稔は再び無理矢理現実に引き戻させた。

「仮説って、なんですか?」

 2人はそろって固い表情をする。

「あくまで仮説だぞ?」
「それでもいいです。聞かせて下さい」

 しばし3人はにらみ合うように見つめ合っていたが、稔の真剣なまなざしに根負けしたかのように、永が視線をそらし、久がため息をついた。

「物証はないんだがな……」

 そうつぶやくと久が自分たちの考えを語り出した。

 *

「仮説は3つほどある。
まず一つは『親父犯罪者説』」

「……は?永遠子ちゃんの実の父親が犯罪者、ということですか?」

「違う。俺らの親父が犯罪者だという仮説だ。変なところで口をはさむな」

 稔は「すみません」と謝ると先をうながした。

「つまりは、あまりの永遠子の可愛らしさに、つい誘拐してそのまま娘にしてしまったというパターンだ」

 ――ありえねえだろ!
 という稔の心の叫びは久にはもちろん聞こえない。

「だが、こんなことを母が許すとは思えないから可能性としては10%程度だろ」

 ――許すとか許さないとかそういう問題ではない、て言うかそれでも10%もあるのかよ!
 稔は、永遠子のおかしな思考回路は遺伝ではなく家庭環境が育てたに違いないと確信した。

「2つ目は『ネグレクト説』。お前、ネグレクトを知っているか?」」

 突然声のトーンが真面目なものに切り替わり稔は思わず身構えた。

「えっと……たしか、育児放棄――え、永遠子ちゃんが育児放棄されたってことですか?」
「あくまで仮説だ。デリケートな問題だから断言はできない。
しかし、いくつかの状況証拠から考えてその可能性は無視できない」
「状況証拠って……」

「一つは永遠子の性格」

 それまで口を閉ざしていた永が指を一つあげてそう言った。久はその言葉に軽く頷く。

「あの頃から永遠子は大人しい子でな……。今ほどではないけれど、当時からほとんど笑わない子だった」
「泣きもしなかったな。怒ることは皆無だった」
「母はよく、永遠子は手がかからなくて助かる、俺らの時は毎日が戦争のようだったと言っていたから、世間一般からみても永遠子は大人しい子だったのだと思う」
「それに永遠子は3歳をすぎるまで言葉を話さなかった。はじめて永遠子に名前を呼ばれたときの感動は……あれは涙なしには語れない」
「あぁ、あれは感動的だった……。まぁ、話すと長くなるからそのくだりは聞きたければ後でたっぷり聞かせてやるとして、無表情だとか発語の遅れというのは幼少時の精神的ショックが原因でなることがあるらしい」
「永遠子はうちに初めて連れてこられたとき同じ年の子とくらべて小さかったしな」

 2人はうんうんと頷きあう。

「もう一つは名前」

 永があげていた指を一本増やした。

「『永遠子』という名前はうちの親父が女の子が生まれたらつけたいと言っていた名前らしい。
つまり、永遠子の名付け親は十中八九うちの親父だろう」
「え、だったら……」
「「口をはさむな!」」
「え、あ、すみません……」

「永遠子は戸籍がない子どもだったんじゃないかと思っている」
「つまり出生届が出されていなかった。だから名前さえつけてもらえなかったのではないか」
「その子どもをうちの親父が何かの拍子で保護し引き取ることになったのではないか」

 ないとは言えない。
 確かにニュースでは連日痛ましい事件を報じている。
 しかし、あの永遠子がそんな事件の被害者であるとは、稔にはいまいちピンと来なかった。
 たしかに永遠子は無表情で口数が少ないけれど、そこに翳のようなものは感じられなかったから。

「可能性としては80%くらいだな」

 さっきから稔の実感以上に高く表示されるパーセンテージは、この兄弟特有の感覚であって一般人には理解できないのだろうと、稔は心の中ですら突っ込むのをやめた。

「3つ目は、『両親他界説』」

「親戚、もしくは友人夫婦が他界して、身寄りがなくなった永遠子をうちの親父が引き取った。
名前も、親父が名付け親だったと考えれば特に不思議はない。表情や発語も、突然の環境の変化が影響してのことだも考えられる」

 ここにきてようやくありえそうな説。
 しかし、兄弟たちの考えはそうではないらしい。

「ただ、この説は俺はあまり指示しない」

「え、なんでですか?」

「この説だとすると、両親がそろってこの事実を隠そうとしていることに違和感を感じるからだ。
もし、永遠子が実の両親に愛された子どもだったのだとしたら、うちの両親は特別養子縁組という方法はとらなかったと思う」

 聞き慣れない言葉に稔は顔をしかめた。

「あの……無知ですみません。『特別養子縁組』ってなんですか?」

「あぁ、養子縁組には普通養子縁組と特別養子縁組の2種類あるんだ。
簡単に説明すると、特別養子縁組というのは80年代後半に成立した新たな制度で、6歳未満の子のみに適用される。これは幼い子の利益を保護することを目的にした制度だ。
普通養子の場合、実親との戸籍上の縁は切れないが特別養子縁組の場合、実親との縁は完全に切れる。戸籍にも、普通養子の場合は『養子』と書かれるが、特別養子の場合、実子と同じように『長女』と記載される。養子の子が将来戸籍を見ても、簡単には自分が養子であることが分からないようになっているんだ。
永遠子の戸籍を調べてみたら『長女』と記載されていた。だから永遠子は特別養子だ」
「特別養子は実親が貧困や虐待といった理由で、子を育てるにふさわしくない状況の場合に適用される。他界の場合でも可能だろうが、人間の心情として、他界した実親の気持ちを考えれば戸籍からも親子であったことを消し去る手段をとるだろうか?絶対ないとは言えないが、うちの両親らしくはない」
「しかも、特別養子縁組は普通養子縁組より手続きが面倒なんだ」

「これらのことを総合的に判断して、一番可能性として高いのは2つめの『ネグレクト説』だと思っている」

 稔はなんとも言えない脱力感に襲われた。
 永遠子と対峙しているときも、似たような感覚を味わうことはあるが、永遠子の場合はそこに愛情があるために苛立ちや呆れを感じることはないが、この兄弟の思考回路はまったくもって理解不能で呆れを通り越して恐ろしく感じる。

「あの、一ついいですか?」
「なんだ?」
「もう一つ、もっと分かりやすくて信憑性の高い仮説があると思うのですが」
「「何?」」

 目を見開く兄弟に、稔は少し気圧されながらも真面目は顔で言った。

「異母兄妹なんじゃないですか?」

 稔の言葉に2人は無表情になった。

「永遠子ちゃんはお父さんが連れて帰ってきたんですよね。それに名前とか戸籍のこととかも、異母兄妹って考えたらすべて説明がつくんじゃないですか?」

 しばしの沈黙のすえ、永が口を開いた。

「それはつまり、永遠子はうちの親父の隠し子だと?」
「えっと……まぁ、有り体に言えばそういうことです」

「ふっ」

 嘲笑うかのような声が聞こえた。
 久が声をかみ殺して笑っていた。
 永も呆れたように首を振っている。

「「ありえん。その可能性は0%だ」」

 自信満々に告げる2人に、稔の脳は理解の限界を突破した。

「な、なんでですか!?そりゃ、息子としてお父さんを信じたい気持ちは分かりますが、犯罪やネグレクトよりはよっぽど可能性としては高いでしょう!?」

「別に親父を信じたい気持ちなど爪の先ほどもない」
「軽蔑もしていないが別に尊敬もしていないからな」

 呆気にとられる稔をよそに2人は真面目な顔で言葉を続ける。

「親父が浮気をする可能性は、太陽に生物が生息している可能性よりも低いだろう」
「あの親父が母以外の女を抱くとは思えん」
「母を裏切るか殺人を犯すか、二者択一を迫られたら、間違いなく一瞬も迷うことなく、完全犯罪を成し遂げるだろうな」
「今年で結婚20年目だってのに、いまだに他人からは『新婚ですか?』と聞かれるくらいだからな」
「まだガキだった俺らにすら嫉妬してたしな」
「小学生の息子と張り合うか、普通?」
「俺らが見てようとまったく気にせずいちゃついたりな」
「中学生の息子が見ている前でディープキスをしたり」
「それならまだマシだ。俺なんか、リビングで服を脱がそうとしているところを子どものころから何度も目撃しているぞ」
「思春期の息子への教育的配慮よりも自分の欲望を優先させる男だからな」
「まったく、永遠子に見つかったらどう言い訳するつもりなんだか……」
「『俺が永遠子に見られるようなヘマをするわけがないだろう』などとほざいてたがな」
「だったら俺らの前でもいちゃつくなよな」
「今ですら『あぁ』なのに、永遠子が生まれた頃となると結婚4年目だろう……」
「絶対にありえない。だいたい、浮気なんかしたら”あの”母が黙っていると思うか?」
「……黙ってはいないだろうな。絶対に『わたしは身を引きます!』とか涙流しながら俺らを連れて出て行くぞ」
「母さんは思い込むと一直線だからな……。たとえば愛人は死んで子どもだけ残されたとかいう状況だったとしても、母さんはその子も入れて子ども3人連れて地の果てへでも逃げただろうな」
「あぁ、そして親父は地の果てへでも追いかける……」

 稔を置いてきぼりにしてどんどん繰り広げられていくストーリー。
 永遠子の両親は、兄たちのさらに上をいく理解不能人物らしい。

 不意に、兄弟は口を閉ざすと、稔の顔をまっすぐ射貫いた。

「「残念ながら、俺らはそんな波瀾万丈な人生は歩んでいない」」

 歩んでいたら大変です。

「つまり、異母兄妹である可能性はなく、俺らと永遠子に血の繋がりがないことだけは確かだ」

 稔はあまりのことに、この頃には頭が上手く回転しないようになっており、早く一人になってじっくり考えたいと思い始めていたが、とりあえずどうしても確認しておきたいことがまだ一つだけ残っていた。

「あの、最後に一つ、いいですか?」
「「なんだ?」」
「永遠子ちゃんは、このことを知らないんですよね?」

 2人は同時に頷いた。

「親父が20歳までは知らせるつもりはないと言っているからな」

 ――よかった……。

 永遠子のことを考えるのなら知らないことがいいことなのかは分からないが、稔の都合だけを考えると「知らなくてよかった」が本音であった。
 懸念事項は、永遠子の異常な常識感覚。
「兄はシスコン神話」「幼なじみはくっつく神話」を鵜呑みにするような子である。
 もし、自分がいかにも少女漫画にありがちなシチュエーションに身を置いていると知ったら――

「ただ、お前の出方によっては時期を早める必要もあると思っている」

 稔は思わず目を大きく見開くと、慌てて兄たちに詰め寄った。

「な、どういうことですか!!」

「今までは敵はお互いだけだった」
「敵になりそうなヤツらは事前にすべて排除してきたからな」
「だが、お前という不穏分子が紛れ込んできたからには考え方を改めざるを得ないだろう」
「うちの親父としても、お前のようなどこの馬の骨とも分からんヤツに永遠子をくれてやるくらいなら、自分の息子の方が幾分マシだろう」

「ま、待って下さい!そんな、永遠子ちゃんの気持ちはどうなるんですか!!」

「俺らも永遠子を傷つけたいわけではない。しかし、永遠子はもう16歳。自分の出生の秘密を受け止められないほど子どもではない」
「事実を知った永遠子がどう出るかは定かではないが、永遠子の性癖を考えればお前には大分、分の悪い勝負になるだろうな」

 永遠子の少女漫画趣味は兄たちも知るところであったらしい。
 普通であれば、兄だと思っていた人が実は兄ではなかったと分かったところで、恋愛対象として意識するとは考えにくい。どちらかと言えば現彼氏である稔の方が圧倒的に有利である。
 しかし、あくまでそれは”普通であれば”。
 相手はあの永遠子である。
 直ちに稔に愛想をつかして乗り換えるとは思わない。その程度には好かれている自信はある。
 だが、一つ屋根の下に住む血の繋がらない兄から愛を告白されたら――
 永遠子は悩むであろう。
 いやでも意識するであろう。
 そして、どうしても頭によぎるであろう――少女漫画の常識を。

 稔は焦る気持ちを必死で押しとどめ、なんとか思いとどまってもらおうと言葉を探す。
 しかし、頭の中はぐちゃぐちゃでいい考えは何も浮かんでこない。
 そんな稔の様子を涼しげな表情で眺めていた兄弟は「ふっ」と余裕の笑みを浮かべるとさっと立ち上がった。

「なに、今すぐというわけではない」
「せっかく永遠子と付き合えて浮かれているお前にはあまりに酷な話だからな」
「少しだけ猶予期間をやろう。それまでは俺たちも必要以上の邪魔はしない」
「せいぜい残された時間を有意義に過ごすんだな」

 兄弟は稔の両肩を左右からぽんと軽く叩くと颯爽と去っていった。

 *

 呆然と立ち尽くす稔。
 その頭の中は、たった今聞かされた嘘みたいな真実がうずまいていた。